■偉大な先代からの期待値に応えられなかったプリメーラ
1990年に発売された初代プリメーラは、全長が初代アルテッツァと同じ4400mmで、全幅は1695mmだから5ナンバーサイズに収まる。その上で走行性能の優れた前輪駆動セダンであった。
この時代から日本メーカーは海外進出を本格化させ、日産を含めて走行性能が急速な進化を開始した。走りが良くなる一方、国内市場もまだ大切だったから、ボディをむやみに肥大化させることはなかった。
日本と海外の販売比率も、1990年頃は50:50で推移して、バランスの良い時代であった。
これが1990年代中盤には海外比率が55%、2000年頃は65%と増え、2010年頃には大半の日本メーカーが80%に達した。
今の日産は世界で生産するクルマの約90%を海外で売り、国内比率は約10%だ。
このような事情から初代プリメーラは人気を得たが、2代目は初代と似通ったデザインでボディが拡大され、印象は薄かった。
注目されたのは2001年に発売された3代目だ。外観はボンネットが前方に大きく傾斜する形状で、前後のピラー(柱)を大きく寝かせた。
ボディを真横から見ると、ボンネットから天井、トランクフードに掛けるラインが円弧を描く。3ナンバーサイズに拡大されたものの、外観は新鮮だった。
ところが運転するとコスト低減が明確に感じられ、走行安定性と乗り心地も良くない。峠道では4輪の踏ん張り感が足りず、乗り心地は底が浅い。ボディを拡大した割に、後席の居住性も良くなかった。
カルロスゴーン元日産会長が、日産の最高経営責任者に就任したのが2001年だから、3代目プリメーラを開発した時代には業績が底を突いていた。
コスト低減を感じたのも当然だったろう。カルロスゴーン元日産会長は、この後、日本人にはできないリストラを断行して、日産を倒産の危機から救った。そして先般の逮捕に至っている。
■ミドシップで期待されすぎたホンダZ
1998年には軽自動車の規格が今と同様に刷新され、ほぼ一度に16車種の新型車が発売された。そのひとつがホンダ2代目Zだ(初代は1970~1974年)。初代とは大幅に異なるSUVであった。
2代目Zは前評判が良かった。外観はSUV風で存在感が強く、エンジンをリヤサスペンションの前側に搭載するミッドシップレイアウトになる。
前後輪の重量配分は50:50とされ、新開発のターボエンジンも選択できた。ところが運転するとがっかりだった。
全高は1675mmと高く、ミッドシップといっても、その上に後席が設置されるから高重心になる。駆動方式は全車が4WDとあって、車両重量は自然吸気エンジンが960kg、ターボは970kgと重い。
しかもエンジンがボディの中心にあって前後輪の重量配分も50:50だから、操舵に対する反応は妙に機敏だ。
不用意に操舵すると車両が素早く向きを変え、続いてボディがグラリと傾く。後輪の接地性も低かった。要は運転に気を使うクルマであった。
後年、ホンダの開発者に尋ねると「会社では日常的な連絡用のクルマとしてZも使っているが、いつでも空いている。疲れるので、乗る人がほとんどいないからだ」とのことだった。
ここで取り上げた「がっかりしたクルマ」の多くは、クルマ好きにとって期待はずれだった。
そこを煽ったのが自動車雑誌などのメディアであったが、ユーザーの間でも期待外れで、売れ行きを低迷させた車種も見られる。
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