■「4WD+ターボ」で過度に期待された”重戦車”GTO
国内販売がピークに達した1990年頃は、クルマの性能の伸び方も最高潮に達した。1989年には4代目フェアレディZの最高出力が280馬力に至り、その後は「280馬力の自主規制」が2004年まで続いた。
同じ1989年にはR32型スカイラインにGT-Rが復活して、1990年にはNSX、ユーノスコスモ、GTOが各車とも最高出力280馬力の仕様をそろえて登場した。
この内でGTOは、4WDスポーツモデルとあって期待させたが、試乗するとがっかりさせられた。
プラットフォームはディアマンテと基本的に共通で、日本仕様は前輪駆動をベースにした4WDを搭載する。V型6気筒3Lのツインターボは、最高出力が280馬力に達した。
ただし車両重量が1700kgと重く、カーブを曲がる時には走行安定性が悪影響を受ける。直線の加速力は優れていたが、峠道は不得意だった。
ボディを重くしたのは4WDシステムと各種の可変機能だ。
後輪を操舵して走行安定性を高める4WS、ショックアブソーバーの減衰力を3段階に切り換えるアクティブECS、時速80kmでフロントスポイラーが前方に80mmせり出し、リヤ側は14度持ち上がるアクティブエアロシステム、3500回転以下の排気音をノーマルとサイレントモードに切り換えるアクティブエキゾーストシステムも採用した。
いろいろな装備を山盛りにしたが、実際に運転すると4WSも空しく、走行性能に不満が伴った。
そこで1994年には、4WS、アクティブECS、アクティブエアロシステム、アクティブエキゾーストシステムなどを省き、スポーツチューンドサスペンションを加えたツインターボMRを設定している。
この車両重量も1680kgと重かったが、走行安定性は向上した。こういった紆余曲折も、今の三菱車が装着するS-AWCの礎になっている。
■初代レジェンドは技術への期待値が大きすぎた!?
初代レジェンドは、ホンダでは最初のLサイズセダンで、ホンダ初のV型6気筒エンジンを搭載した。
ホイールベース(前輪と後輪の間隔)は2760mmだから当時のクラウンやセドリックよりも長く、Lサイズセダンと前輪駆動の組み合わせにも新鮮味がある。
外観に丸みを与え、装飾は控え目ながら、内装を含めて欧州車風に仕上げた。
ところが試乗すると印象は良くなかった。当時のボンネットを低く抑えたホンダ車に共通する特徴として、サスペンションのストローク(上下に動く範囲)を十分に取れていなかったからだ。
例えばマンホールの蓋を乗り越えた時などに「ポコン」と底突き感が伝わる。レジェンドと共同開発されたイギリスのローバー800は、内装が上質で開発者は「ホンダのレジェンドとはまったく違うクルマ」と見栄を張ったが、乗り心地は大同小異だった。
走行安定性にも不満があり、峠道で速度を少し高めると、早々に曲がりにくくなった。
1988年にはウイングターボを搭載した。タービンブレードの周囲に可変ウイングを設け、この角度を変化させて過給圧を無段階に制御した。
「低回転域から過給効果が得られ、常に高いトルクが得られる」と説明されたが、試乗すると低回転域の駆動力は不十分で、ほかのターボと大差はなかった。
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