ホンダもうひとりの創業者が米国自動車殿堂入り!! 藤澤武夫氏の大偉業と「今のホンダ」に思うこと

ホンダもうひとりの創業者が米国自動車殿堂入り!! 藤澤武夫氏の大偉業と「今のホンダ」に思うこと

 ホンダ創業者のひとりで、最高顧問を務めた藤澤武夫氏がこのほど、米国自動車殿堂に選出された。藤澤氏は同じくホンダ創業者である本田宗一郎氏とともにホンダのグローバル事業拡大の礎を築き、ホンダの発展に大きく寄与してきた。藤澤・宗一郎時代と今のホンダで何がどう違うのか、藤原裕氏にホンダOBとしての知見から語ってもらった。

文/藤原 裕、写真/ベストカー編集部、ホンダ、American Honda Motor Co., Inc

■ホンダグローバル事業の礎を築く

1960年代の本田宗一郎氏(左)と藤澤武夫氏(右)。今回、藤澤氏が米国自動車殿堂入りしたことでホンダ創業者のふたりともが殿堂入りしたことに
1960年代の本田宗一郎氏(左)と藤澤武夫氏(右)。今回、藤澤氏が米国自動車殿堂入りしたことでホンダ創業者のふたりともが殿堂入りしたことに

 ホンダの創業者のひとりであり、最高顧問を務めた藤澤武夫さんが米国自動車殿堂に選出され、殿堂入りすることが発表された。非常に喜ばしいことである。

 藤澤武夫(以下、敬称略)は1959年のホンダ初海外現地法人アメリカン・ホンダモーターの設立や、米国での二輪車販売開始時における自前のディーラー網の構築など、その後のホンダのグローバル事業拡大の礎を築いた。

設立間もない頃のアメリカンホンダモーター
設立間もない頃のアメリカンホンダモーター

 また、1960年7月に研究開発部門を『本田技術研究所』として分離して独立させることで、個性と能力の自由な発揚を通じた新価値の創造を促すなど、現在に至るホンダの発展に大きく寄与している。

 1989年の本田宗一郎の殿堂入りに続いて、ホンダ関係でふたり目であるが、この事は、ホンダにとって、大きな意味深いことであると思う。私はもちろん、藤澤さんと一緒に仕事をしたこともないが、ホンダのよき社風や考え方、マネジメントを産み出した人であると思う。

 本田宗一郎が技術や商品、レースに没頭し、多くの素晴らしい製品と実績を挙げてこられたのは、藤澤武夫が販売、経理、組織体制をうまくまとめたおかげである。例えば、役員の大部屋制、『わたしの記録』展開、役員の子弟を入社させない、従業員の衣食住サポート専任会社設立、本田宗一郎との同時引退など。

■組織の仕組みづくりに手腕を発揮

アメリカンホンダモーターを1963年に訪れた際の藤澤武夫氏(右から2番目)
アメリカンホンダモーターを1963年に訪れた際の藤澤武夫氏(右から2番目)

 藤澤武夫がこのようなマネジメントを進めてきたのは、ひとりの天才(本田宗一郎)に代わる、集団としてのエキスパートの能力をフルに発揮するための仕組みづくりであった。

 また、マン島TTレースへの参戦檄文は、藤澤武夫自身が書いたものと言われている。

1959年のマン島TTレースでのホンダチーム
1959年のマン島TTレースでのホンダチーム

※ホンダの社是:わが社は世界的視野に立ち、顧客の要請に応えて、性能の優れた、廉価な製品を生産する。わが社の発展を期することは、ひとり従業員と株主の幸福に寄興するに止まらない。良い商品を供給することによって顧客に喜ばれ、関係諸会社の興隆に資し、さらに日本工業の技術水準を高め、もって社会に貢献することこそ、わが社存立の目的である。

次ページは : ■現在のホンダには3つの問題点がある

新車不足で人気沸騰! 欲しい車を中古車でさがす ≫

最新号

S-FR開発プロジェクトが再始動! 土屋圭市さんがトヨタのネオクラを乗りつくす! GWのお得情報満載【ベストカー5月26日号】

S-FR開発プロジェクトが再始動! 土屋圭市さんがトヨタのネオクラを乗りつくす! GWのお得情報満載【ベストカー5月26日号】

不死鳥のごとく蘇る! トヨタS-FR開発計画は再開していた! ドリキンこそレジェンドの土屋圭市さんがトヨタのネオクラシックを一気試乗! GWをより楽しく過ごす情報も満載なベストカー5月26日号、堂々発売中!