■日々取り締まりに明け暮れる白バイ隊員の「晴れの舞台」
警護車列のおおまかな順番を紹介すると、まず先頭が白バイ(複数台)、次に自ら(自動車警ら隊)から派遣されたパトカー、警護課のエスコートカー(通称EC)、そして警護対象車両(要人車両)、お付の関係者たちの車両、そして後押えの車両(白バイか自らパトカー)となる。
後押えの車両は、車列の規模によってはつかないこともある。また、白バイやパトカーの台数も、警護対象者によってピンキリで、超ビッグな要人、例えばアメリカ合衆国大統領の場合は、別格の規模となる。
いっぽうで、規模が小さな車列の場合は、地味にならないような工夫が必要になる。そこで活躍するのが白バイなのだ。
これは警護課員から聞いた話だが、車列に白バイを入れることで、少ない台数でも車列が立派に見えるのだそう。仮にも各国のトップを迎えるのだからそれなりの体制でおもてなしをするよう気配りをしているのだ。
警護課への派遣の場合、先導する白バイの順番や位置は、派遣された交機隊員の間で決めてよかった。だいたい、一番上の先輩が最先頭の位置につくのが定番だったが、先輩の中には先頭(1番員と呼称)を嫌がる人もいて、後輩隊員に1番を譲る方もいた。
嫌がるってどういうことかって? 実は車列先導の場合、最先頭の白バイが一番責任重大なのだ。というのも、コースをミスしようものなら全ては最先頭の白バイ、すなわち1番員の責任だからである。
もしも1番員がコースミスをした場合は、その次の2番員、もしくはパトカーが1番員に繰り上がって車列の先導車両となるのが決まりだ。
またコースミスのほか、コケたり事故ったりという事案も幾度かある。そんな時は、やっちまった白バイは、ほったらかしの置いてきぼりにされ、後で偉い人からお小言をもらって後々伝説の人となる。
また、後続全車両がつられて間違ったコースを走ってしまうという凄い状況が起きたこともあった。そんな時は一般車両の中を仲良く通常走行となり、これまた悲惨な伝説となる。
私が班長になって初めての車列先導は、警衛課への派遣で、天皇陛下の白バイ先導だった。当時の警衛課の白バイは全車、VFR750Pだった。
交機や所轄の白バイの主力バイクも同車だったが、当時、私の担当白バイはヤマハのFZ750P(ビキニカウル)だったため、先輩のVFRを借りての派遣となった。
この日、交機からのなんちゃって警衛課白バイは私だけで、位置的には3番員の役目だった。この時は迎賓館赤坂離宮から首都高経由で皇居までというコースだった。
しかもこの日は行事の関係でたまたま儀礼服着用だった。なんちゃって警衛課員にとって儀礼服着用は珍しいこと。私も初体験だった。この日は本部から拝借しての儀礼服だった。
いきなりの天皇陛下の先導、しかも私は先頭後方の位置ということで、安心しきって、ただただルンルン気分だった。
道路は交通規制により完クリ状態(「完全クリアー」のこと。車列の通過コースを一時的に通行止めにし、一般車を排除。車列がスムーズに通れるようにしてある状態)で、経験者だけが知るあの視線の快感、まさに白バイ隊員でよかったと思った瞬間だった。
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