一大ブーム起こしたブルーバードの実力と評判
3代目のブルーバード510型は、仏滅の1967年8月9日にベールを脱いだ。最初は2ドアセダンと4ドアセダンを送り込んだが、1968年11月にリアピラーを傾斜させた2ドアクーペを投入した。
このクーペはコロナのハードトップに対抗するスポーティモデルである。最近、多くの車が採用している流れるウインカーランプもいち早く設定した。
先進的なメカニズムを満載し、デザインも美しかった3代目ブルーバードは、発表されるやセンセーションを巻き起こしている。
筆者も若いときに1967年式のブルーバードSSSに乗っていたが、ワインディングロードを走るのが楽しかった。1600SSSは高性能エンジンを積んでいたし、フットワークも軽やかだ。開通したばかりの東名高速道路でも安定した走りを見せている。
ブルーバードの評判は自動車専門誌や新聞、そして口コミなどで広く伝わり、販売店には多くの人が詰めかけた。
生産体制が整うと、クラストップの販売台数を誇ったコロナ(RT40系)を首位の座から引きずり落としている。日本だけでなく北米でも大ヒットを飛ばし、ダットサンブランドの知名度アップに大きく貢献した。
また、モータースポーツの世界でも大活躍し、勇名を馳せている。名声を世界に知れ渡らせたのは、国際ラリーだ。デビュー直後の1968年からラリーに参戦し、上級クラスのラリーカーを打ち負かしている。
サファリラリーでも驚異的な走りを見せた。1970年春のサファリラリーでは総合優勝に加え、クラス優勝、チーム優勝の三冠王に輝いている。
石原裕次郎主演の映画、「栄光への5000キロ」でもスクリーン狭しと豪快な走りを見せた。世界中を驚愕させ、販売面でも大成功した名車が3代目のブルーバード510である。
ノートとブルーバードの「No.1」はどう違う?
(ブルーバードが販売トップに輝いた)当時は高度成長期でイケイケの時代だったし、車がステータスだったから憧れの存在であるブルーバードがトップを取ったことに強いインパクトを感じた。
メカニズムも今の高性能ターボや電子制御サスペンションほどの価値があり、オーナーは優越感を感じたはずである。いずれ中古車として放出されるから、その時に買おうと思った若者も多かった。
一方で、2018年度の登録車販売No.1を獲得したノートはコンパクトカーであり、道具としての選択だからNo.1は、ある意味で順当な結果といえるかもしれない。
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ブルーバードは2001年に生産を終え、現在ではシルフィがその実質的な後継車として生き残っているが、往時の勢いはなく細々と販売を続けるのみとなっている。
いま販売No.1の座を奪ったノートに、全盛期のブルーバードにあったような“憧れ”が集まっているかといえば、そうとも言えない。
自動車の位置づけは時とともに絶変わり、売れる車も時代とともに変わるもの。ただ、ブルーバードのようなクルマが、日本の自動車産業を牽引し、世界一の自動車大国へと押し上げたのではないかと思う。
50年前と今では自動車を取り巻く環境は大きく変わった。それでも、多くの人々が買い求める車には、「憧れる要素」を込め続けてほしいと思う。
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