白バイ希望なのに武闘派部隊へ配属!? 白バイ乗れるまで遠かったわ……4年間のとほほな遠回り

白バイ希望なのに武闘派部隊へ配属!? 白バイ乗れるまで遠かったわ……4年間のとほほな遠回り

 警視庁に在籍した33年間中、実に22年間もの日々を白バイに捧げた元警察官の洋吾(ようご)氏。取り締まり件数において3年連続で警視庁トップに輝き、警視総監じきじきの表彰も受けた伝説の白バイ隊員だ。洋吾氏の警察時代の悲喜こもごも、厳しくも「とほほ」な日常を綴った著書『白バイ隊員 交通取り締まり とほほ日記』も上梓(小社刊)。

 今回は、白バイに乗るために必要な講習を終え、あとはウキウキで配属を待つのみとなった筆者。だがそんな筆者に下されたのは、まさかの肉体派・武闘派部隊への異動辞令だった───!?

文/洋吾、写真/洋吾、Adobestock(メイン写真=moonrise@Adobestock ※画像はイメージです)

白バイ隊員 交通取り締まり とほほ日記

洋吾
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■「マルキ(機動隊)に決まったぞ」?

「白バイ乗りになりたいことをアピールしまくってやっとつかんだ白バイ講習のチャンスだったので、ショックは大きかった」という洋吾氏。写真は配属されたレスキュー部隊競技会でのロープブリッジ渡橋の様子
「白バイ乗りになりたいことをアピールしまくってやっとつかんだ白バイ講習のチャンスだったので、ショックは大きかった」という洋吾氏。写真は配属されたレスキュー部隊競技会でのロープブリッジ渡橋の様子

 白バイ講習を受け、晴れて白バイに乗れる資格を得て気分はウキウキだったものの、そこからまさかの遠回りが待っていた。そう、所轄へ戻り、白バイ担当となる順番待ちをしていたある日のこと、恐怖の辞令が下った。

「マルキ(機動隊)に決まったぞ」

 昼間の交番勤務を終え、本署に上がった私に突然、上司から送られた言葉だった。つまり異動である。

 念願の白バイ講習が終わり、後は交通課入りを待つだけと、私は思っていたのである。副署長も、白バイ講習終了の申告の際、「空くまで待っててな」って言ってくれていた。

 当時、若造だった私は偉い人の言うことを100%信じてその気になっていたのだ。

 ところが、運命の神様はそう簡単に私を白バイへと導いてはくれなかった。白バイ養成訓練終了後、2カ月が過ぎた1981年10月、秋の人事異動で、機動隊への配属となってしまったのだ。

 機動隊、業界用語で「マルキ」と呼ぶ。交通部の交通機動隊とは大違い。警備部の肉体派・武闘派の組織であった。

 はるか昔、学生運動全盛時代、学生側からは「バカの集団」って呼ばれ、権力の手先の象徴だった。ジュラルミンの盾を持った姿が機動戦士ガンダムみたいで、警察の中の軍隊みたいな集団だ。

 この機動隊、とにかくその圧倒的な資金力、装備、人数で日本国内のあちこちに展開。国のやることに反対する勢力を、親方日の丸の圧倒的パワーで黙らせるのを得意としていた(個人的感想だが)。

 サミットなどの大規模な警備や、大震災等の災害時には、警視庁管内に限らず、他府県へも応援部隊が派遣される。北は北海道から西は沖縄まで、どこへでも行った。

機動隊時代の洋吾氏。本人の意思確認なしでの隊内配置換えは当たり前。そして隊内でも、係が変われば新隊員。変わった先が厳しいところだと、とほほとなる
機動隊時代の洋吾氏。本人の意思確認なしでの隊内配置換えは当たり前。そして隊内でも、係が変われば新隊員。変わった先が厳しいところだと、とほほとなる

 警視庁機動隊は、10個隊編成となっていた。第1機動隊(1機)から第2、第3~第9機動隊まであり、10番目には特科車両隊(略して特車)があった。

 各機動隊の部隊編成は、交機よりも小隊数が多いほかはほぼ同じだった。ただし、交機では「班長」という先輩隊員の名称が、マルキでは「組長」という名称だった。

 一般中隊内には、レスキュー小隊や爆発物処理班、ハイジャック対策班や特殊部隊などがあり、さらには武道小隊、専門アスリート小隊など、さまざまな小隊や分隊が編成されていた。

 中隊のほかにも、特殊車両を管理・運用する操車係、私服密行班の特務係、DJポリスで脚光を浴びた広報係、無線大好きの通信係、事務方の庶務係などもあった。ちなみに隊内にある売店の店主も隊員だ。とにかくいろいろとてんこ盛りなのがマルキなのだ。

 1981年当時、警視庁の人事異動は春と秋に行われていた。若手の警察官は、たいていがマルキ要員と言ってもよかった。「行きたくない」と駄々をこねてもおかまいなし、片っ端から新隊員として補充されていった。そうでもしなければ隊員不足になるからだ。

 私としては白バイ講習も終了していたので、マルキ行きだけはないと思っていただけに、この人事は本当にショックだった。自分自身納得するのにかなり時間が必要だったが、このマルキ行きは私のお巡りさん人生で大きな分岐点だったと思う。

 さて、異動すれば、マルキでの新隊員生活がスタートである。マルキが嫌われる原因の一つが、この理不尽いっぱいで、上下関係が厳しい新隊員生活だ。

 新隊員は定番の先輩の靴磨きや制服のアイロンかけなどの雑用はもちろん、徹底的にバカにならなければならない。

 挨拶の声が小さいなど、元気がないと先輩に励まされるのではなく、むしろ怒られるぐらいだった。しかも、先輩からの無茶振りが多く、時や場所かまわず歌を歌わされたり……、まるで体育会系学校の世界であった。

 警察署でいくら先輩格になっていても、マルキへ転勤したら、新入りとしての新隊員生活が待っている。私も絶望感マックスの状態で、マルキへの転勤となった。当時のマルキは平均4年間のご奉公であった。警視庁第一機動隊、皇居のお膝元に位置する警視庁のマルキ筆頭部隊が、私の転勤先だった。

 転勤した後、1週間ほどは新隊員訓練だ。

 新隊員は30名ほどで、装備品の着装から、ジュラルミンの大盾の構え方、隊形の組み方など、警察学校時代を思い起こさせる訓練ばかりだった。新隊員訓練終了後は、各自、それぞれの中隊へ振り分けられる。

 だが、私はこの時、さらに絶望の淵に突き落とされる運命に……。

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