■セダンは「ちゃんとしてる感じ」に価値がある
そういった若者特有の心理は理解できるが、それが許されるのは、「反抗的な態度」がカッコよく見えるのは、若い時だけである。
そして大人となった以降は、「ちゃんとしていればいるほどカッコいい」という具合に、物差しの種類が代わるのだ。
高価なモノでなくても構わないので清潔な衣服を着用して、日々のあいさつをきっちり行い、何かよきことを施されたらしっかりお礼を言う。
任された仕事は責任をもって完遂する。「一時停止」の標識がある場所ではちゃんと一時停止する、といった具合に「ちゃんとしている」大人のほうが、そうではない大人の推定500倍はカッコよく見えるものだ。
もちろん世の中には文句を言いたいこと、理不尽な決まりごとなどもたくさんある。だがそういったものに大人が“反抗”してもダサいだけではないか。
もしも大人が何らかの理不尽に対抗したいのであれば、やるべきは幼稚な反抗ではなく「本気の戦い」であるはずなのだ。
私がここで言っていることは大げさで、抽象的に過ぎるかもしれない。だが「あえて今こそセダンに乗りたい」と考える理由の“根本”は、こういったところにあるのだ。
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コメント
コメントの使い方これだからセダンのイメージが“老人の車”になっちゃうのさ