■アキュラブランドは1986年に誕生
舞台は1980年代後半のアメリカだ。
アメリカでは「ロングリード」と称される複数の大手自動車雑誌に、「ACURA」(アキュラ)の広告が目立つようになる。初代クイントインテグラを使って北米のスポーツカーレースにACURAチームが参戦する様子などが紹介された。
当時、筆者がホンダのアメリカ法人であるアメリカンホンダに「アキュラって、何ですか?」と聞いたところ、「ホンダをベースにしたスポーティブランド」との回答で、「プレミアム」という発想はさほど強くなかった。
アキュラブランドはホンダの主力市場であるアメリカで発想されたものであり、日本人にとっては理解しづらい感覚もあった。北米国内での販売網をさらに拡大させたいホンダにとって、セカンドブランドの展開は必然だったとも言えるだろう。
その後に発売された各種アキュラブランドも、ベースとなるホンダ車に対する価格差はさほど大きくなく、あくまでもスポーティ性やハイパフォーマンス性を重要し、さらに大人のお洒落さを追求する、といったブランドイメージであった。その流れは、2023年時点でも変わっていないと思う。
■インフィニティはアキュラを意識して1989年に設立
そんなホンダのアキュラ戦略を意識し、動いたのは日産だった。当時、ロサンゼルス近郊にあった北米日産の拠点で各種のインフィニティ車を度々借り出してテストドライブした。
印象としては、ベースの日産モデルのサスペンションを硬めにしたり、排気系の一部を改良し、またボディパーツを軽度に装飾してタイヤ・ホイールを変更するといった、いわゆるライトチューニングであった。
その後、「G35」(日本のV35スカイライン)が大ヒットとなり、これを契機にインフィニティは基本的にFR中心のスポーティブランドという戦略へとシフトしていく。
■レクサスは慎重な日本のトヨタ本社からなかなかOKが出ず……
こうしたアキュラとインフィニティに対して、トヨタは実に慎重な姿勢だった。
1990年代に入ってから、1980年代にレクサス立ち上げに直接関わったアメリカ人の北米トヨタ幹部から、レクサス誕生までの苦労話を聞いたことがある。
アキュラの動きを早期に察知した北米トヨタは、のちにレクサスとなるプレミアムブランド戦略の基本構想を練り上げ、それを持って日本のトヨタ本社を何度も訪問したという。
だが、慎重に慎重を重ねて市場調査を進める姿勢をトヨタ本社が崩さず、なかなかGOサインが出なかった。ところが、GOサインが出た後は「まるで大きな岩が一気に転がるようにレクサス計画は一気に加速した」という。
そんなレクサスだが、2005年の日本上陸時にはトヨタ販売店各社や、欧州系ブランド販売店の見方はかなり慎重だった。なぜならば、「北米市場を念頭に生まれたレクサスが日本市場に通用するのか?」という懸念があったからだ。
■日本市場で確固たるポジションを築いたレクサス
だが、モデルラインナップがSUV主流で拡充するなか、レクサスは日本で確固たる地位を築いていく。
一方、ホンダは一時、アキュラ日本参入を目指すと発表するもそれを撤回。日産でも本社内ではこれまで何度もインフィニティ日本導入が議論されたという事実を、筆者は日産幹部らから確認している。
結局、アキュラ、インフィニティは日本に導入されず、レクサスのみとなっている最大の理由は、販売会社の資金力と販売力の差ではないだろうか。
ただし、国内市場ではプレミアムブランドがEVシフトを牽引する可能性が高いと見られており、そうしたタイミングでアキュラとインフィニティの日本戦略が再検討される可能性は否定できないだろう。
今後の市場の動きに注目だ。
【画像ギャラリー】いまだインフィニティとアキュラが日本導入しないのはなぜか? レクサスは着々と地固めをしているが……(26枚)画像ギャラリー
コメント
コメントの使い方それぞれレクサス・インフィニティ・アキュラの各プレミアムブランドは、当時の日米自動車貿易摩擦のなかで生まれたものですね。
当時は自動車の輸出について、台数の枠制限を課され、各社が高級車へのシフトに動きました。同じ台数でもより利益を上げようということですね。
北米ではトヨタ・日産・ホンダに、あまり高級車を売ってるイメージが無いということで、プレミアムラインのブランドとして作ったものですね。
既存ディーラーでインフィニティ、アキュラを販売すれば良いと思うのだが何故販売しないのだろう
大衆車とは違うと主張したいなら、同じ所で売っちゃいけない。まあGT-RやNSXはそうしちゃったんだけども。