■フェラーリテスタロッサにも似たグラマラスなスタイリング
誕生より36年を経たMID4IIだが、そのスーパースポーツにふさわしいスタイリングの迫力は今も健在だ。そのフォルムは、同じくミドシップスーパーカーであるフェラーリ テスタロッサとも重なるものがある。
リアのエンジンフードは、I型には見られない大型エアダクトが見られるが、これはエンジン上部との干渉を避けるためのもの。その最後部には、ハイマウントストップランプが内蔵されている。さらにテールエンドには、小型のトランクスペースがあり、専用リッドにはダンパーも備わるなど、かなり実用性にも配慮されていた。
ラゲッジスペースは、フロント部にも用意。フード下には、小さなスーツケースならば収められるくらいのサイズが用意されていた。そこに同居するのは、懐かしい吊り下げ式のウォッシャータンクだ。今回は、特別にリトラクタブルライトも起動してもらった。この姿は、あまり見られないだけに貴重だ。
2座のフルレザーバケットシートを備えたインテリアは、ひと目でスポーツカーのコックピットと理解できるもの。ダッシュボードデザインは、メーターフードの左右にサテライトスイッチを備えることもあって、後のZ32型フェアレディZのインテリアとも似た雰囲気。そして、ステアリングは、まだ市販前のR32型スカイライン(GT-R)と同様の3本スポークデザインとなっている。
撮影車は、ブラックシート×レッドカーペット仕様であったが、広報写真を振り返ると、タンシート×ブラウンカーペット仕様のものを発見。スーパースポーツふさわしい高級感にあふれたインテリア仕様もあったのだ。専用部品の多さと内装の仕様違いを試作していた点などからも、かなり市販を意識していたことが伺える。
■徳大寺氏が当時のベストカーでMID4に試乗!
当時の状況を探るべく、ベストカーを振り返ってみよう。1987年11月26日号では、緊急企画として「走るモーターショー MID4 FXV-II初試走」の見出しが躍る。モータージャーナリストの徳大寺有恒氏と当時の編集スタッフが試乗。
そのなかで、徳大寺氏は「初期型はコンセプトカー、ショーカー的な要素が強く、エンジニアの習作的な部分が、今回のMID4(II)はより現実的に、ことによったら、“売ってやろう”というつもりで作られている。このへんの差がクルマそのものに大きな違いを与えるのだ」と指摘。
より現実的なクルマに仕上げられているとしながらも、日本の大メーカーでも高価なスーパーカーを大量に売りさばくのは難しく、想定よりも高価となるだろうとしたうえで、現実性の低さを指摘。また、クルマのデザインやキャラクターの評価も厳しかった。
「MID4の開発スタッフが、もしランボルギーニカウンタックに乗ったらなんというだろうか。私には想像がつく。視界が悪い、乗降性が悪い、設計が古い、その評価はクルマとしては正しい」としながらも、「いかにして乗っている人を別世界にいざなうか、こいつこそスーパーカーの役目なのである」と、その世界に挑むならば、機械として正しさだけでなく、スーパーカーというもの自体をきちんと理解して欲しいと締めくくっていた。
興味深いのは、同じ誌面のBCスタッフのMID4インプレの記事だ。関係者の声が掲載されており、「MID4の新型は4月くらいから作り始めたんです。今日来ている一次試作の2台ができ上がり、ガンガンテストしている時に中止の判断が出たんです。最近のことですよ。そりゃショックは大きかったですね」と、この時点で市販化がなくなったことを明かしている。
それでも、「これからもこのクルマの開発自体は続いていくわけですから、可能性がまったくゼロというわけじゃないと確信しています」とコメント。技術開発車としての役目もあったため、MID4の開発自体は続いていたのである。日産開発陣が、世界で戦えるスーパーカーを夢見ながらも、世に出ないクルマの開発を続けることはきっと辛さもあったのではないだろうか……。
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