■ベストカーは当時から「MID4応援団」だった!
そんな開発者と日本生まれのスーパーカーを夢見る読者の気持ちを背負い、ベストカー誌面では、商品化の復活を願う企画も行われた。それが、1987年12月10日号の「熱望的MID4カタログをBCが作る!!」だ。
中身は、編集部が想像する新車カタログや広告デザインを多数掲載し、最後にグレード表まで載せてしまう凝りようだ。まさにベストカーは、MID4応援団だったのである。
結果的には、MID4は、先行技術開発車としての役目を終えた。しかし、高性能なVG型エンジンは、多くの日産高級車に採用された。例えば、ツインターボ仕様はZ32型フェアレディZに搭載された。ただ、高性能すぎたため、メーカー自主規制により最高出力を280psに抑えられていた。
さらに駆動システムでは、4WDと後輪操舵機能「HICAS」の組み合わせが、後のR32型スカイラインGT-Rのハイテク4WDにも繋がっている。またマルチリンクサスペンションも、多くの市販車に採用された。
1990年代前後の日産車の輝きには、きっとMID4による多大な貢献があったと思う。だからこそ、幻のスーパーカー「MID4」は、今も多くの日産ファンの心を惹きつけて止まないのだ。
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