シミュレーターでドラテクを磨くことも可能となった現代だが、50年以上前の日本では子供たちに本物のクルマを運転させることで交通安全を学ばせるという画期的な取り組みが行われていた。第9回目となる日産ヘリテージ連載は、「ダットサンベビイ」(ベビー)を取り上げたい。
文/大音安弘、写真/池之平昌信
【画像ギャラリー】「こどもの国」専用の小さなクルマ「ダットサンベビイ」を写真でCHECK!(15枚)画像ギャラリー■遊園地専用車として誕生したダットサンベビイ
ダットサンベビイは、1965年(昭和40年)5月5日に開園した子供向け遊園地「こどもの国」(神奈川県横浜市)のアトラクションのひとつとして開発された。
こどもの国は1959年(昭和34年)4月の皇太子(現上皇陛下)のご結婚の際、全国から寄せられたお祝い金を皇太子と美智子さま(現上皇后陛下)のおふたりが「こどものための施設に使ってほしい」と願ったことが同園誕生のきっかけとなった。
そこでお祝い金を含む国民からの寄付金をもとに、国費と民間企業の協力によって建設された。当時、日産も協力に手を挙げた企業のひとつであった。
モータリゼーション発展の真っ只中にあった昭和30年代の日本では、同時に交通事故が激増し、交通戦争と称される深刻な状況にあった。特に昭和30年前半の死亡者数は、15歳以下の子供が最も多いという現実があり、ドライバーはもちろんのこと、子供を含めた交通安全教育も重要と認識されていた。
日産は同園で子供たちに本物の自動車で正しい知識を学んでもらい、交通安全に寄与する目的でこども専用車を開発製造することになる。それが「ダットサン ベビイ」だったのだ。
■日産がこどもの国専用車として寄付
この専用車は日産の寄付という形で提供。さらに施設のコース設計や交通教育教材の製作にも協力したという。ちなみに、「ベビイ」と「ベビー」の両表記があるが、日産が車名として与えたのは「ベビイ」だったそうだ。
ベースとなったのは当時、業務提携を行っていた愛知機械工業の軽トラック「コニーグッピー」だ。販売不振からすでに製造中止になっていたモデルのパーツを流用したものだったが、デザインや機能などは子供向け車両として専用開発が行われた。
デザインを手がけたのは当時、入社間もない日産自動車のデザイナー、松尾義彦氏だ。松尾氏の初の日産車デザインであるだけでなく、たったひとりで手がけたという。同氏は、後に初代フェアレディZ(S30)を手がけた人物である。
ベストカー本誌連載企画の『日本クルマ界 歴史の証人』での本人へのインタビューでは、「上司から、グッピーのデザインを手直しする程度でいいと言われたが、いかにも商用車というデザインのままでは、とても子供たちに夢を与える存在にならないと思った。そこで遊園地の乗り物であってもちゃんと走れるスポーツカーを絶対に作ってやろうと決めて、2シーターのクーペスタイルというデザインスケッチを一気に描いて制作に回した」とコメントしている。
愛らしくともスポーツカー風のデザインには、スポーツカーをデザインしたくて、自動車メーカーに入社した若き日の松尾氏の情熱が詰まった1台だったのだ。
子供たちがベビイに乗る様子についても、松尾氏は、「そのクルマに乗り、心から嬉しそうに子供たちが運転する姿を目の当たりにすると、デザインの大切さをより強く感じた」と振り返っている。
グッピーの自動車としての機能を受け継いだベビイは、「こどもの国交通訓練センター」で使用するために105台が制作された。そのうち5台は予備車として用意されたようで、実際に園内で稼働していたのは100台だったようだ。
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