昭和30年代のクルマたち、首都高の地下化、バッテリーカーの限界に思うこと……【復刻・徳大寺有恒「俺と疾れ!!」】

昭和30年代のクルマたち、首都高の地下化、バッテリーカーの限界に思うこと……【復刻・徳大寺有恒「俺と疾れ!!」】

 2014年11月に逝去した自動車評論家、徳大寺 有恒。ベストカーが今あるのも氏の活躍があってこそだが、ここでは2013年の本誌企画「俺と疾れ!!」をご紹介したい。

 青年時代の回顧、政権を自民党政権下の自動車税、日産リーフ値下げの話題に絡んだバッテリーカーの限界について。氏の豊かな眼差しは、現在の問題にも通じるものがある。

(本稿は『ベストカー』2013年3月26日号に掲載したものを再編集したものです/著作権上の観点から質問いただいた方の文面は非掲載とし、それに合わせて適宜修正しています)

■昭和30年代の自動車たち

ダットサンデラックスセダンDB型。徳さんが初めて愛車としたクルマはお父さんの営業車だった、だるま型のダットサンセダン。サイドバルブの722ccエンジンの最高出力は15馬力だった
ダットサンデラックスセダンDB型。徳さんが初めて愛車としたクルマはお父さんの営業車だった、だるま型のダットサンセダン。サイドバルブの722ccエンジンの最高出力は15馬力だった

 もう何回目だろうか? 3度や4度ではきかないであろう、最近、平家物語を書斎の机においている。

 あの「祇園精舎の鐘の声」で始まる日本人ならば誰もが知る物語である。日本の古典のなかでも傑作中の傑作だが、こいつをしばらく読んでみようと思っている。エッセイならば鴨長明の方丈記も読み直したい。

 古典はやはり読んでいて面白い。先の平家物語もすべて読めば、これがなぜ書かれたのかがわかってくる。もちろんスラスラとは読めない。そして読んでいるうちに自分の高校生時代を思い出す。

 私は成城大学付属中学、水戸第一高等学校を卒業している。当時、私は水戸から北に25キロほど離れた常陸大宮という町にいて、朝晩は水郡線を使い、列車で30分ほどかけて水戸に通っていた。高校生になると運転免許が取れた(排気量1500cc以下の小型四輪自動車免許)のでクルマでも通ったが、こちらだと25分ほどで着いた。

 クルマはダットサンデラックスというもので、1952年製だった。今から思えばとにかく走らず止まらずよく壊れたが、この722ccの水冷4発最高出力15馬力で、私は自動車の基本というものを覚えた。特に電気関係は後々大いに役立った。

 それがやがてクラウンになっていく。親父がクラウンを手に入れたからだ。トヨタクラウンは初め1500ccの4発だったがすぐに同じ4発で1900ccが出た。そしてこの4発R型からエンジンはM型の6発になりATも追加された。

 ライバルの日産はクラウンと同じサイズのセドリックを発表したが、同じく1500から1900へと発展していった。当時忘れてならないのはオースチン(日産)、ヒルマン(いすゞ)、ルノー4CV(日野)のノックダウン車である。特にルノー4CVは想い出が多い。

 学生アルバイトでも乗ったし、のちに「タク上げ(タクシーだったクルマ)」を買って自分のものにしたこともある。ルノー4CVは楽しいクルマだった。日野がノックダウンし、生産したおかげで、中古車がたくさんあった。

 日野ルノー4CVはリアエンジンで4発の水冷エンジンを持っていた。フロアシフトの3速でセカンドをうまく使わないと走らなかった。いっぽうヒルマンはマニアックなクルマで4速トランスミッションをフロアシフトにしているモデルもあった。

 当時ヒルマンブランドを持っていたルーツグループは日本のヒルマンにフロアシフトやディスクブレーキなどの自動車アクセサリーを用意していた。タコメーターを含め、それらは自動車マニアの憧れだったが、特にディスクブレーキはその効果の甚だしい違いによって一番の憧れになった。

 当時の人気車は日産がセドリックとブルーバード、トヨタがクラウンとコロナ、いすゞがヒルマンとベレルということになろう。ヒルマンのルーツグループにはシンガーがいた。そして大きなクルマはハンバーがいて最大はハンバーのプルマンだった。

 いっぽう日野ルノーは小さく、安く、人気があった。日野はこのルノーをベースにいくつかのカスタムカーを発売した。本国のルノーはスタイリッシュなフロリードを持っていた。こいつをデザインしたのはピエトロ・フレアでこの話は以前にもした。

 フロリードはかっこよかったが、エンジンは変わらず、性能も同じだった。同じようなクルマにVWビートルベースのカルマンギアがある。このクルマもデザインがすばらしかった。

 スタイルだけなら……というクルマはけっこうあった。アメリカ製のナッシュもピニン・ファリーナデザインのクルマを出していた。当時のピニン・ファリーナはランチアベースのクルマが多く、ランチア・フラミニア・クーペの美しさは一頭地を抜けていたと思う。むろんランチアは最もスポーティな車種はツァガードボディのスポルトでスーパースポーツ並みの性能を誇っていた。

ランチア・フラミニア・クーペ。フラミニアにはトゥーリングがデザインしたGT、ザガートデザインの2シータークーペのスポルトもあったが、クーペとベルリーナはピニン・ファリーナデザイン
ランチア・フラミニア・クーペ。フラミニアにはトゥーリングがデザインしたGT、ザガートデザインの2シータークーペのスポルトもあったが、クーペとベルリーナはピニン・ファリーナデザイン

 イタリアのカロッツェリアもひとつの物語であるが、ピニン・ファリーナ、ツァガード、ベルトーネ、アレマーノ、トゥーリングといいた存在はそれだけで物語となるものである。

 日本にもごく稀な存在として名工さんがいた。クルマが大量生産される以前には「ダットサン・スポーツ」というMGに似たスポーツカーがあった。同じくダットサンのクルマで「コンバー」というクルマはいまでも私の脳裏にある。コンバーはスリフトをモデルチェンジしたセダンだが約半年しか生産されなかった幻のモデルだ。

 トヨタと日産、どちらかというと日産は少しクルマ好きを納得させるマニアックなところがあり、トヨタはやや少ないと思う。しかし、「オリジン」に見られるようにトヨタも面倒なことをやることがあるんだなと思っている。

 カスタムカーはコストが高く、ビジネスには向かない。日本は自動車メーカーがどれも大資本となり、大量生産、大量販売になっている。カスタムカーをやっているのはごく小さなメーカーだけだ。だから応援したいと思う。

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