1カ月のうち14日間は泊まり込み!? 深夜2時にも勤務!! 音羽の不夜城移転……ベストカー編集部は新天地で新たな歴史を刻む

■編集部員それぞれの“不夜城”の思い出

現在の編集部の様子。レーシングドライバーやクルマ好きの著名人なども第二音羽ビルを訪れた
現在の編集部の様子。レーシングドライバーやクルマ好きの著名人なども第二音羽ビルを訪れた

●本郷仁(総編集長)

 若い頃、向かいにスナックがあり、ゲラ待ちで先輩に誘われ『狙いうち』ほか山本リンダ縛りで唄わされました。24時を回る頃仕事再開。不夜城は『どうにもとまらない』のでした。

●寺崎彰吾(編集局長)

 20代後半、1号あたり一週間、1カ月のうち14日間「音羽の不夜城」に泊まって仕事をしていました。控えめに言って、頭がおかしかったなと思う、恐るべき青春の日々です……。

●飯嶋穣(編集長)

 昔は校了中の深夜2時とか、普通に全員編集部にいたもんで、深夜営業しているカレー屋に買いだしに行くとかありました。学生時代の延長みたいで、意外と楽しかったなー。

●飯干俊作(編集委員)

 昔は社内泊が普通だったから、編集部のソファで何度も金縛りにあった。それもかなり痛いやつで、涙を流しながら耐え「フンッ!」と気合いで解いていた。生き残れてよかった。

●梅木智晴(編集委員)

 夜中一人で編集部に残って仕事していると、なぜか誰もいないはずの上の階で椅子を引きずるような音がしたり、コツコツコツと異音が聞こえたり。あれって何だったのかしら?

●古川賢治

 ベストカーに来て初めての取材の集合時間は夜中の3時過ぎ。待っていると「途中でクルマが止まったので牽引ロープを持ってきて」との電話。最初の頃は驚くことばかりでした。

●林真人

 約9年前に入社しましたが、その頃はまだ校了時期といえば、旅行バックを持って泊まり込む時代でした。馬場さんとお泊り常連組だったのは、いい思い出です(笑)

●赤澤烈

 諸先輩方に比べたら寝泊まり歴ゼロという、不夜城歴が大変短い私。だがあのビル天辺にある旧ロゴのベストカーともお別れかと思うとちょっぴり寂しい。さらばだ、不夜城!

●馬場武治

 2001年、取材で岐阜県吉田川の川飛び込みを敢行し、腰骨を骨折(涙)。川面までは約12mで、第二音羽ビルの4階もほぼその高さ。高いですね。その上の5階に編集部はありました。

●市原信幸

 1990年にTVの特番『東京の夜は眠らない』(局は失念)で紹介された音羽の不夜城。バイトだった大学生の私はカメラクルー引き連れてお遣い行脚。ブイが残っていたら見たい。

●ベストカー編集部は2024年3月中旬に移転しました。新編集部でますますパワーアップ!! ご期待ください!!

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