毎年、自動車市場を彩る数々の新車。2019年もフィットやカローラといった定番ヒット車がフルモデルチェンジを行う。
しかし、このフルモデルチェンジを境に衰退していった車種も少なくない。もともと人気や実力が高かった車は、何が原因でユーザーの支持を失ってしまったのか?
本稿では5車種の例と理由を解説。人気・実力が高かっただけに「もったいない」例といえるが、なかにはその経験が後の新たなモデルで生かされた例もある。
文:渡辺陽一郎
写真:編集部、NISSAN、TOYOTA
S14型シルビア「3ナンバー化がアダに」
1988年に発売された5代目のS13型は、伸びやかで鋭角的な外観が注目を浴びた。
発売直後に参加した報道試乗会でのこと。筆者は試乗車を駐車場に停めるとローアングルでニコンのファインダーを覗いた。早朝の斜光を浴びて端正なシルエットが浮かび上がり、息を呑むほど美しかった。
運転感覚も素直で、後輪駆動らしく挙動をコントロールしやすい。初代マツダ ロードスターの発売は1989年だから、(前年に登場した)5代目シルビアは、コンパクトで扱いやすいスポーツカーとしても注目された。
そのために売れ行きは絶好調で、1988年5月の発売ながら、同年に約4万4000台を登録。1989年には8万台に達して、1990年も6万4000台であった。
ところが、1993年発売の6代目(S14型)は、登録台数が急落。最も多く売れた発売翌年の1994年でも3万台にとどまり、1995年は1万8000台、1997年は9000台、1998年は4000台と下がった。
S14型シルビアの敗因は、5代目の大ヒットにあった。その膨大なユーザーに乗り替えてもらうには、その成長に合わせて、もっと大人っぽいクーペに仕上げる必要があると判断したからだ。
しかも1989年には消費税の導入と併せて自動車税制が改訂され、3ナンバー車の税制不利が撤廃されていた。
そこで6代目は、全幅を1730mmに広げて3ナンバー車にしたが、基本路線を変えずに3ナンバー車にしたから、外観が膨らんで見えてしまう。
フロントマスク、ボディサイド、後ろ姿まで、すべての見栄えが悪化していた。車両重量も少し重くなり、走りの軽快感が薄れたことも災いした。
そして、日本のユーザーは、今でもそうだが5ナンバーサイズに独自の価値を見い出す。各メーカーはこの点を見誤り、1990年代の日本車は、クーペとセダンを中心に続々と3ナンバー化されて売れ行きを下げている。
ほぼ同時に5ナンバーサイズのミニバンが各メーカーから発売。クーペとセダンはますます顧客を奪われ、シルビアは1999年発売の7代目(S15型)で、ボディを再び5ナンバーサイズに戻した。
5代目レガシィ「ボディ拡大も持ち味は失われ…」
スバル レガシィは、ツーリングワゴン、セダンのB4、SUVのアウトバックなど豊富なボディタイプをそろえ、スバルの主力車種として好調な売れ行きを誇った。
特に注目されたのはボディの大きさだ。ほかのミドルサイズカーが次々と3ナンバー車に拡大される中で、レガシィは1998年発売の3代目も5ナンバーサイズを守った(ランカスターを除く)。
この流れが2003年発売の4代目で変わり、ボディをワイド化して3ナンバー車になった。さらに5代目では、一層拡大させてファンを失っている。
5代目ツーリングワゴンの全長は4790mm、全幅は1780mmだ。今の感覚ではさほど大柄に感じないが、当時は大きくなった印象を受けた。
ホイールベースも2750mmに伸ばされ、後席の居住性が大幅に向上した代わりに、従来型の特徴だった機敏な運転感覚は薄れた。
多くのユーザーがレガシィに求めたのは、引き締まった外観とスポーティな走りだったから、5代目レガシィの低迷は当然の結果だった。
登録台数を見ると、1998年発売の3代目レガシィは、翌1999年に約7万台を登録。ところが2009年発売の5代目は、2010年に2万7000台しか登録できていない。5代目の売れ行きは、3代目の40%以下にとどまった。
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