2013年、三菱ふそうの小型トラック、キャンターが誕生から50周年を迎えた。三菱キャンターが誕生した50年前、小型トラックは人も荷物も載せる万能の乗り物だった。昭和30~40年代の名作たちを紹介しよう(本稿は「ベストカー」2013年5月26日号に掲載した記事の再録版となります)。
文:片岡英明/協力:カタログで見る昭和30年代の車
■トラックが経済成長と自動車発達の原動力!
1954年に第1回全日本自動車ショーが開催された。この年の日本の自動車生産台数は7万台あまりで、そのうちの80%近くを商用車が占めている。それを証明するように、会場の主役はトラックやバス、ライトバンなどの働くクルマたちだった。
軽自動車やライトバンといえども高嶺の花だ。おいそれと買えるわけではなかった。が、会場には54万人もの人がつめかけ、明日のオーナーを夢見ている。
この直後に神武景気が始まり、経済は右肩上がりで上昇カーブを描いた。自動車の生産台数も増えたが、オート3輪に代わって主役の座に躍り出たのは小型トラックだ。デザインとパッケージングの革命があり、ボンネット型からセミキャブオーバー型に移っている。
キャビンは乗用車と変わらない快適性だった。動力性能もセダンと大差ない。しかも機動性の高さと維持費の安さは乗用車をしのいでいる。トヨタを中心に価格も引き下げた。だから1950年代の終わりには、オート3輪と小型トラックの生産比率が逆転し、3輪車はジリ貧に陥る。
1960年代になると、高度経済成長政策を追い風にして国民所得が大幅に増えた。大卒の新入社員の初任給は2万円を超えたが、ローンもままならない時代だったので乗用車は買えない。
そこで乗用車の代わりに使える小型トラックを持つ中小企業や自営業の人たちが多くなる。車格は違うが、あの「三丁目の夕日」の世界と同じようなものだ。
当時は、テレビ、冷蔵庫、洗濯機が三種の神器と呼ばれ、これらを所有することがステイタスといわれた時代である。自動車も利便性だけでなく、豊かさの象徴としての意味合いが強かった。小型トラックでも乗っていると優越感に浸れたのだ。
1964年の東京オリンピックを前に日本は建設ラッシュに沸く。
名神高速道路や首都高が建設され、国立競技場など、オリンピックのための施設も数多く作られた。また、霞が関ビルに始まる超高層ビルも建てられている。
これらの工事に大活躍したのが小型トラックだ。ガソリンエンジンだけでなくディーゼルエンジンも積まれるようになり、性能向上だけでなくメカニズムの耐久性と信頼性も飛躍的な進歩を遂げた。
日本の総人口が1億人を突破した1966年あたりから、各メーカーは設備投資を積極的に行なうようになる。
名神高速道路に続いて東名高速道路が全通し、トラックも高性能化に拍車がかかった。環境問題が取りざたされるようになったが、小型トラックはまだ昭和元禄を満喫している。
空前の消費ブームを商用車が支え、飛ぶ鳥を落とす勢いで販売は伸び続けた。イケイケの時代に、高い機動性を武器に、活躍の場を広げ、技術レベルも大きく引き上げたのが、個性豊かな日本の小型トラックである。
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