ロータリーの逆風と倒産危機救った“赤いファミリア”
その後、ロータリーエンジン搭載車を積極的に送り出していくが、1970年代になると厳しい排ガス規制に加え、2度のオイルショックに見舞われた。
燃費の悪いロータリーエンジンは海外で「ガスイーター」の汚名をきせられ、販売は低迷。再び倒産の危機に見舞われた。
だが、マツダの首脳陣とエンジニアはロータリーを捨てることはできない。「技術で叩かれたものは技術で返す」と発奮し、クリーン化とともに希薄燃焼方式の6PIによって大幅な燃費改善を成し遂げたのである。
この時期にプレミアムスポーツクーペの「コスモAP」と「サバンナRX-7」を投入したが、この2車は新たなファン層の開拓に大きく貢献した。
そして、1980年にはFF方式に転換した「ファミリアXG」が大ヒット。日本の景色を変えるほどの売れ行きを見せ、東洋工業を黒字へと導いている。
また、経営基盤を確固たるものにするために、1979年秋にアメリカのフォードと資本提携を結び、1981年にはフォードブランドを扱う「オートラマ」を立ち上げた。1984年5月、社名を東洋工業から「マツダ」に変更し、新たなスタートを切っている。
マツダを危機に陥れた多チャンネル化の失敗
この時期には韓国の起亜に資本参加し、北米や台湾で現地生産を開始。積極的に海外事業を拡張し、新しいブランドやバリエーションも大幅に増やしている。余勢を駆って1989年には国内販売チャネルの大改革を断行し、5チャネル体制を敷いた。
「アンフィニ」や「ユーノス」、「オートザム」などが相次いで誕生したから、新ブランドだけでなく兄弟車も矢継ぎ早に送り込んだ。
が、車種を広げすぎたため研究開発費や販売店の経費がかさむようになり、経営を圧迫した。これにバブルの崩壊が追い打ちをかけ、マツダは再び経営危機に陥ったのである。
堪えきれず、1996年にはフォード傘下に収まり、またもやマツダは冬の時代を迎えた。この危機を救ったのが、実用性に優れたハイトワゴンの「デミオ」やミニバンの「ボンゴフレンディ」だ。ドライバーズミニバンのプレマシーも人気を博し、マツダは活気を取り戻している。
そして2002年4月、マツダは「Zoom-Zoom」のブランドメッセージを発信し、環境性能と安全性能を高いレベルまで引き上げながら、持続可能(サスティナブル)な未来の実現に向けて動き出した。
すべての人に「走る歓び」と「優れた環境・安全性能」を提供するために発表したのが「SKYACTIV」テクノロジーだ。マツダはクルマの基本となる技術のすべてをゼロから見直し、常識を覆す技術革新によって世界一を目指した。
ロータリーからSKYACTIVへ! 異端児の新たな「挑戦」
この時期、内燃機関は遠からず絶滅するだろうと思われていたが、マツダは異を唱え、内燃機関の可能性と未来を次世代の「SKYACTIV」テクノロジーに託している。
目指したのは、運転する楽しさやワクワク感を失うことなく、地球環境に配慮したクルマ作りだ。ロータリーターボを積むRX-7は2002年で終わり、自然吸気のロータリーエンジンを積むRX-8も2012年をもって生産を終えた。
ロータリーエンジンと入れ替わるようにして登場したのが、SKYACTIV技術を採用した「CX-5」や「アテンザ」などだ。
新世代の直噴ガソリンエンジンやターボ、直噴ディーゼルターボを積むマツダのニューモデルは、日本だけでなく海外でも高く評価され、販売を伸ばしている。
その最新作は、火花点火制御圧縮着火方式の画期的なエンジン、「SKYACTIV-X」だ。
これは過給機の力強さとマイルドハイブリッドの優れた燃費を併せ持つ新感覚ガソリンエンジンで、「マツダ3」に積んでデビューした。
何度も苦難を乗り越え、不死鳥のように甦ってきたのがマツダだ。いつの時代も打たれ強い不屈の闘志と進取の気象が、未来に向かう原動力となっている。この姿勢は今後も変わらないだろう。
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