マツダロードスター
金字塔:世界で最も生産、販売されたオープンスポーツ
元号が昭和から平成に変わった1989年登場のユーノスロードスターは、当時強化された衝突安全性に代表される法規などにより絶滅状態となっていたライトウエイトオープンスポーツを「平成の時代に蘇らせよう」というコンセプトで誕生した、実に単純明快なモデルである。
実用車ではないだけに普遍性は薄いものの、この単純明快なモデルを待っていた人は世界中に山のようにおり、1997年まで8年間生産された初代モデルだけで約43万台生産された。
車名がマツダロードスターになった2代目モデルが生産されていた2000年にはロードスターの累計生産台数は約53万台に達し、この時点で2人乗り小型オープンスポーツカーの累計生産台数のギネス記録に認定された。
それ以降2005年登場の3代目モデル、2015年登場の現行4代目モデルと歴史を重ねたロードスターは2016年4月に累計生産台数100万台を突破し、その記録を更新し続けている。
ロードスターが世界中で愛されている理由は運転する、オープンでの走行、クルマを触る、オーナー同士の交流などなど、1台のクルマから様々な楽しみ方ができることに尽きる。
現行モデルは「価格が高くなった」など文句もあるものの、冷静に考えたらそれ以前にこういったクルマが30年以上継続されているだけでも偉大なであり、ロードスターが日本の宝として永久に続くことを心から願う。
VWビートル
金字塔:1941年から2003年の62年間生産された長寿記録
1941年登場でタイプⅠなどとよばれることもあるVWビートルは、ドイツの国民車構想により産まれたモデルである。
その条件は耐久性の高さと維持費の安さ、大人4人が乗れるスペース、100km/hでの巡航、リッター約14kmの燃費を実現しながら1000マルク以下の安価な価格という厳しいものだった。
それをものともせず、設計を担当したフェルディナンド・ポルシェ博士はそれを克服し、市販化にこぎ着けた。
ビートルはスペース確保のためもあり空冷フラット4エンジンをリアに搭載するRRで、実用性の高さと当時としては高い性能を主な理由にドイツだけでなく世界中で愛された。
ドイツだけでなくブラジルやメキシコでも生産され、日本でもヤナセが販売したこともあり代表的な輸入車に成長した。
しかしビートルは見方によっては基本設計がよすぎたのが原因だったのか、1960年代になると古さが目立つようになったのに加え、ビートルが偉大すぎたゆえにVWはなかなか後継車を出せなかった。
そのためVWを大きくしたビートルが1970年代初めにVWがピンチに陥った原因となってしまったのは実に皮肉だった(VWはビートルの後継となる1974年登場の初代ゴルフの成功でピンチを脱する)。
ビートルは初代ゴルフの登場後1978年にドイツでの生産は終了。
しかしメキシコやブラジルでは基本設計はそのままに排気量の拡大やキャブレターからインジェクションへの変更といった改良を施しながら生産が継続され、その歴史は62年間、累計生産台数も約2153万台に及んだ。
なおメキシコ製ビートルは1990年代終盤から並行輸入業者の手により日本でも販売された。
このモデルはメキビーと呼ばれ、空冷エンジンのフィーリングをはじめとした「遅いけど刺激のあるプリミティブな運転する楽しさ」というクラッシックカーらしさを持っていた。
同時にインジェクションとなったのに加え部品の耐久性向上などによりクラシックカーの不便はないという大変魅力的なクルマだった。
1990年代終盤にはポルシェ911のエンジンが空冷から水冷に移行したことでメキビーは「世界最後の空冷エンジン搭載車」となり、中古車価格は上がるいっぽうという人気振りである。
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