モータースポーツで名を馳せたアバルト
アバルトはオーストリア出身のレーシングライダーであるカルロ・アバルトが1949年にイタリアのトリノで設立したのが起源。おなじみのサソリのトレードマークは創始者のカルロの誕生月の星座に由来する。
ほどなくフィアット車をメインに市販車のチューニングを手がけるかたわら競技にも参戦し、1950~1960年代にはモータースポーツ界を席巻するほどの活躍を見せた。
「ジャイアントキラー」や「ピッコロモンスター」と呼ばれるほど、競争相手の大柄な高性能車を小さなアバルトが追いかけ回すさまはのちのちまで語り草となった。
それが遠く離れた日本にも伝わると、もともと日本人が昔からDNAとして持っている、強大な相手に挑む小兵に味方する、いわゆる“判官びいき”の心境と通じたことも、現在のアバルトの人気につながっている面も少なからずありそうだ。
アバルト復活のきっかけは日本!!
ところが、1971年にフィアット傘下に収まるや、アバルトは徐々に存在感を薄れさせていく。
当時は主にフィアットグループ内の競技部マシンの開発に携わり、競技の世界ではそれなりに活躍していたものの、長らく市販車とのかかわりがなくなっていたからだ。
そんなアバルトが再び目覚める兆しを見せたのが20世紀の終わり頃。しかも彼の地ではなく日本での話。
1998年に「プントスポルティングアバルト」、次いで2000年に「HGTアバルト」という2台の日本向けの専用モデルを突如として発売したのだ。
いずれも内容的には往年のアバルトとはほど遠いいたってシンプルなものだったとはいえ、それだけアバルトにとっても日本は特別な市場と認識していことの表れに違いなく、アバルトがわざわざ日本だけのためにこうしたモデルを用意したことを興味深く感じたものだ。
アバルト500の登場に日本のアバルトファンは歓喜
それにしてもなぜ日本? と思うところだが、それには日本にかねてから熱心なアバルトファンが多数存在することが大きいようだ。
彼らが保有するヘリテージカーは状態のよいものが多く、世界的にも貴重なアバルトが実は日本にたくさんあるのだという。
そして2007年、フィアットはアバルトを正式に復活させたのはご存知のとおり。グランデプントを皮切りに、翌年には「アバルト500」を送り出す。
日本にはいずれも2009年に上陸した。
とりわけかつてアバルトが名声を博したのも当時のフィアット500のチューニングだったが、小柄なボディをスポーティに仕立てた姿と強力なエンジンを積んだ往年のアバルト500の再来にファンは歓喜した。
さらに、マツダとの提携により生まれた124スパイダーも登場した。その124スパイダーが日本に導入された2017年が、いまのところアバルトがもっとも売れた年となっている。
ストーリー性を大事にするアバルトファンにとって、ピュアなアバルト車ではない現行124スパイダーが受け入れられるのかという危惧もあったが、それなりに支持を得たといえそうだ。
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