数々の金字塔を打ち立てパジェロ製造に社名変更
東洋工機は特装車の製作に長い経験を持ち、架装も得意だ。これに目をつけ、1987年にはFF方式に生まれ変わった5代目のミニカをベースに、背を高くして積載能力を高めたエコノウォークスルーバンの車体架装も行った。
年号が平成に変わった1989年は2つの金字塔を打ち立てている。
ひとつは初代パジェロの生産累計50万台達成の偉業だ。もうひとつは、三菱電機のエスカレータートラスの生産累計1万台達成である。
ちなみに1991年にはパジェロが第2世代にバトンタッチし、その2年後には累計100万台生産の大記録を打ち立てた。
この記録達成の直後に本社の新社屋が完成し、10月には三菱ジープの生産累計が15万台になるなど、飛躍の年となっている。社名を「パジェロ製造株式会社」に変更するのは1995年7月だ。社名を一新し、新たなスタートを切った。
チャレンジャーがパジェロスポーツへと進化
21世紀になってからは、2001年夏にチャレンジャーの一貫生産を開始している。これはフォルテ4WDの流れを汲むオールラウンドスポーティRVで、メカニズムの多くは2代目パジェロのロングボディと共通だ。
海外では「モンテロスポーツ」の名で販売を行い、ついには「パジェロスポーツ」へと発展する。創立60年の節目となる2003年12月には三菱自動車の完全子会社になり、三菱4WDシリーズの重要な生産拠点になる道を選んだ。
2007年からは個性派ミニバンのデリカD:5の生産を任され、2015年12月にはアウトランダーの補完生産を開始するようになった。
この2車種を主役に、現在も海外向けの左ハンドル仕様のパジェロと自衛隊専用モデルとなるハーフトン(1/2t)トラックの生産を行っている。
三菱には生き残る道が残されている
が、「パジェロの町」としてファンに知られた坂祝町のパジェロ製造は、2021年上期にすべての車種の生産を終了し、工場は閉鎖されることになった。これは重い決断だ。
アウトランダーやデリカD:5などの生産は岡崎製作所に移管し、生産を続ける。パジェロスポーツについては、パジェロ製造での生産を2011年に終了し、その後タイの三菱ラムチャバン工場で生産されている。
三菱の無謀な拡大戦略が招いた工場閉鎖だが、大事なのはここから先だ。
4WDに関して高い技術力を持つ三菱には、ランドローバーのようにRVを中心とした自動車メーカーとして生き残る道も残されている。
この苦い経験を糧として今度こそ奇跡の復活劇を演じてほしい。
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