2019年4月24日、三菱自動車はSUVブームをけん引したパジェロのファイナルエディションを発表し、8月には日本国内での販売を終了を告げている。
そしてついには名門ブランドのパジェロの生産を、2021年の上半期をもって終了すると発表した。三菱の代表車の筆頭だったパジェロが、日本だけでなく世界から消えてしまうのだ。
それだけではない。パジェロやデリカD:5などの生産を行っている「パジェロ製造」(岐阜県加茂郡坂祝町)の工場閉鎖も発表したのである。名車を多く生み出してきた工場の閉鎖は、三菱ファンならずともショックだ。
実はパジェロ製造はパジェロほか三菱車以外にも生産してきた。パジェロ製造の歴史を振り返ると同時に、生産したクルマについて見ていく。
文:片岡英明/写真:MITSUBISHI、パジェロ製造、TOYOTA、HONDA
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第二次世界大戦中に創業という歴史を誇る
パジェロ製造の歴史は古い。その沿革を簡単に書き記しておこう。
会社が誕生したのは第二次世界大戦中の1943年12月で、岐阜市内に「東洋航機」を設立した。社名からわかるように、航空機の部品を製作する会社である。
そして戦後間もなくの1946年1月に社名を「東洋工業」に変更し、1949年8月に自動車の車体製造・加工を行うように業態を変えた。マツダの旧社名と同じだが、まったく関連はない。
岐阜車両工場の操業開始は翌1950年1月だ。1959年秋、名古屋工場が操業を開始し、1960年12月には社名を「東洋工機株式会社」に変更している。旧態化が目立つ岐阜工場の閉鎖は1965年夏だ。
1960年代半ばから三菱グループとの付き合いが密になり、1967年6月には新三菱重工からの依頼で、三菱ジープの一貫生産に乗り出している。
後に登場するパジェロのご先祖で、幌付きのショートボディほか、ミドル、ロングボディのJ30系デリバリワゴンなど、多くのバリエーションの生産を行った。
また、秋には三菱電機が販売しているエスカレーターの部品の製造も頼まれ、生産を開始している。
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