ミラージュはクラスダウンで失墜
三菱のミラージュもカローラの牙城を切り崩し、注目を集めた1台だ。1978年に三菱初のFF2ボックスとして登場したミラージュはクリーンなルックスがウケ、クリーンヒットを飛ばしている。
1980年代はターボパワー、3代目からは4WDモデルも追加した。カローラとはまったく違うキャラクターの独自路線で勝負したからファン層を広げたのだ。
だが、バブルが弾け、1990年代にベーシック路線に転じるとファンは離れていった。
そこで起死回生を狙い、2002年秋にミラージュに代わるコンパクトハッチのコルトを市場に放っている。
パッケージングがよく、質感も高かったコルトはそれなりに売れたが、三菱の不祥事とベンツとの提携解消に足を引っ張られ、モデルチェンジの機会を失った。そこでリリーフとしてミラージュを復活させたのである。
しかし、このミラージュはコルトより格下のコンパクトカーで、経済性を重視して1Lの3気筒エンジンを積んでいた。コストを重視したタイ生産のベーシックカーだし、初期モデルは走りの質感も三菱品質じゃなかったのである。
上質なコルトや歴代のミラージュの軽快な走りを知っている人は敬遠した。もちろん、ミドルクラス寄りへと成長したカローラのライバルとは誰も認めていない。
成熟し、目が肥えたクルマ社会のニッポンでは、軽自動車やコンパクトカーであっても質の高さが求められるのである。
日本のユーザーを甘く見た結果、ヒーローになれなかったのだ。
グローバルカーでありながら日本人を大切にしたカローラ
日本のユーザーに寄り添い、手堅い路線に徹したカローラは、11代目まで小型車サイズにこだわり続けた。現行の12代目はワイドボディを採用したが、海外向けよりホイールベースは短いし、全幅も狭めている。
日本のユーザーのことを第一に考えて設計し、日本では絶大な人気を誇るハイブリッド車を主役の座に据えた。
初代カローラから続く「お客様は神様」という設計ポリシーは誕生から50年以上を経た今でも変わっていないのだ。
だから今もファンはカローラ愛を貫き、成功作になっている。カローラのかつてのライバルが続々自滅していったのとは好対照の結果となっている。
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