海外ではプリウスやアクアより知名度が高く、日本にもファンが多い売れっ子ファミリーカーがトヨタのカローラだ。
日本ではサニーやファミリアなどのライバルとしのぎを削りながら、長年にわたってベストセラーカーの座を守り通してきた。
カローラが誕生したのは1966年秋である。宿命のライバルとなる日産のサニーより半年遅れて登場したが、多くの優位性を持っていた。
その後、マツダファミリア、ホンダシビック、三菱ミラージュといった各メーカーのライバルとしのぎを削ってきたが、ライバルがクラス替え、車名変更、消滅など紆余曲折を経ているのに対し、現在も日本で存在感があるのはカローラだけとなっている。
ライバルがたどってきた道程を振り返ると、自ずとカローラの強さの要因がわかる。
本企画では、カローラとかつてのライバルの現状について考察していく。
文:片岡英明/写真:TOYOTA、NISSAN、HONDA、MAZDA、MITSUBISHI、奥隅圭之
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カローラの最大のライバルだった日産サニーは自滅
前述のとおり、サニーはカローラよりも早くデビューしている。言ってみれば、サニーの対抗馬としてカローラが登場した形となる。
後発のカローラのアドバンテージのそのひとつが排気量だった。サニーより100cc大きい1100ccとし、トランスミッションもスポーティな4速MTだったから瞬く間にサニーの販売台数を超えた。
その後もサニーと「CS戦争」と呼ばれる熾烈な販売合戦を繰り広げた。が、圧勝と言える強さを見せ、ベストセラーカーに輝いている。
歴代のサニーは、カローラよりスポーティな味わいで、運転するのが楽しい。
だが、マーケティング戦略に長け、ユーザーの好みを知り尽くしているトヨタは、カローラをクラス上に見えるように大きく見せたし、インテリアの見栄えもよくしている。
また、クラスを超えた快適装備も意欲的に採用し、ユーザーを魅了した。
サニーはカローラに先駆けてFF方式に舵を切ったが、トヨタもすぐに追随している。DOHC戦略やAT戦略でも後れをとったから、昭和の末期からはサニーを大きく引き離し、トップを快走している。
サニーは安全対策や環境対応にも力を入れ、追いすがった。
が、ゴーン体制になってグローバル戦略を取ったから2004年にティーダとティーダラティオに座を譲り、勇退している。9代、37年でクルマ人生に幕を下ろしたのは、日産の経営不振が招いた悲劇だ。
だが、伝統に縛られ、新しさを出せなかったことも理由のひとつだろう。車名を変えて巻き返しを図ったが、この作戦は失敗し、日本ではコンパクトカーの足場を失った。
カローラにひと泡吹かせたマツダファミリアは現在マツダ3
マツダ3のご先祖であるファミリアも、一時はカローラにひと泡ふかせる健闘を見せている。
ファミリアがトヨタを打っちゃって人々を驚かせたのは、1980年に登場し、FF車に生まれ変わった4代目の時だ。ウエッジシェイプのシャープなデザインの3ドアハッチバックは秀逸なデザインだった。
これを主役に据え、上級グレードに爽快な電動サンルーフや快適なラウンジシートを採用したから若者は飛びつき、デートカーの主役となっている。ゴルフを徹底的に分析し、走りもよかったから爆発的に売れ、ライバルを慌てさせた。
FFファミリアは2年足らずの間に50万台を生産し、カローラとVWゴルフに続く、生産台数を記録している。
日本では一瞬であるが、カローラからトップの座を奪った。トヨタが慌ててカローラIIやカローラFXを送り込むほどの衝撃を与えたのである。
次の5代目では日本初のフルタイム4WDやパワフルなDOHCターボも投入。ファミリアはスポーティ度の高い走りのよさが光るコンパクトカーだった。
だが、1990年代になるとデザインなどにフォード色が強くなり、戦略もコロコロ変わったから、ヤング層は離れ、迷走した。
累計生産1000万台を達成した7代目のファミリアネオは、デザインも個性的すぎたためにファンは離れていく。販売は大きく落ち込んだから2003年に第一線を退き、アクセラに活躍の場を譲った。サニーと同じように自滅したのである。