日産ティーノ:3ナンバー専用6人乗りハイトワゴン
販売期間:1998~2003年
日産ティーノは1998年に9代目サニーをベースにハイトワゴン化したモデルで、日産の意欲作だった。
全長4270×全幅1760×全高1610mmというショート&ワイド&ハイトという特異なスタイルを日産は『ティーノプロポーション』と称していた。
そのスペースにフロント3人掛けのベンチシートに後席3人で最大6名が乗車できるというのが最大のセールスポイントだった。日産の多人数乗車に対する挑戦でもあった。
そしてリアシートは3席がそれぞれ独立で脱着可能で、全部取り外すと3人乗車+カーゴ並みのラゲッジスペースを実現するなど、使い勝手にも工夫が凝らされていた。
ワンモーションフォルムは美しかったが、フロントマスクが個性的過ぎたのが仇になった感は否めない。それよりも日産で言えばセドリック/グロリアに匹敵する全幅1760mmのワイドな全幅が敬遠されたのは間違いない。
今ならコンパクトと言われる1760mmの全幅も当時の日本では大きすぎた。
100台限定販売で終わってしまったティーノハイブリッド(2000年)は、プリウスのバッテリーがニッケル水素だったのに対してこの時点でリチウムイオンを採用するなど、注目されたが、単発で終了してしまった。
最大のセールスポイントだった前席3人掛けのシートだけではダメだと判断した日産は前席2人掛けの5人乗りを追加。最終的には6人乗りを廃止して5人乗りのみとなった。
挙句には2002年10月にマイチェンした後、わずか半年後の2003年3月に日本向けの生産を終了。迷走に次ぐ迷走で、ティーノは大きな期待をされていたとは思えない悲しい終わり方となってしまった。
マツダペルソナ:インテリアへの強いこだわり
販売期間:1988~1992年
1988年にマツダから登場したブランニューカーのペルソナは、トヨタカリーナEDが先鞭をつけた、背の低い4ドアピラーレスハードトップだった。ベースとなったのはカペラで1.8Lと2Lの直4DOHCエンジンをラインナップ。
ユーノスブランドからは、兄弟車のユーノス300が販売された。
エクステリアデザインはカリーナEDに負けず劣らず背が低くスタイリッシュだったが、最大のセールスポイントは『インテリアイズム』と謳ったインテリアデザインだった。
当時としては高級セダンでも一部しかオプション設定のなかった本革をふんだんに使ったインテリアは圧巻。カタログでもエクステリアよりもインテリアの詳細説明にページが咲かれていたほどだった。
このインテリアイズムは1990年登場のユーノスコスモにも継承され、当時のクルマとしては異次元のラグジュアリーさを誇った。その先鞭をつけたのがペルソナだ。
ペルソナは、日本車として初めて灰皿とシガーライターをオプションとしたクルマとしても話題になった。
マツダがマルチチャンネルで混迷していた時期と重なった不運はあるが、内外装の美の追求は今のマツダでも継承されていることからも、マツダのターニングポイントとなったクルマの1台と言っていいかも。
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