自動車メーカーはユーザーにとって魅力的なクルマを作るためにいろいろな趣向を凝らしそれを商品化している。いいクルマが売れる要素になることはあっても絶対ではない。
時代のニーズに合って大ヒットすることもあれば、チャレンジングすぎてユーザーにそのよさが理解されず販売面で苦戦するケースもある。
本企画では、高い志を掲げながら、現実とのギャップに苦しんだ日本車にスポットを当てていく。
5台紹介する中で、4台は単発で終わってしまっている。ただ販売面で大きな成功は納めていなくても、存在が否定されるわけではない。
ライバルやその後に登場したモデルに受け継がれたものもあれば、消滅後に評価されたモデルなど、今でも存在感は絶大だ。
文/ベストカー編集部、写真/TOYOTA、NISSAN、MAZDA、SUBARU、DAIHATSU
【画像ギャラリー】志の高さが魅力!! アイシス、ティーノ、ペルソナ、R1、オプティをジックリとチェック!!
トヨタアイシス:日本専用の左右非対称ボディ採用
販売期間:2004~2017年
アイシスは2004年9月に全長4610×全幅1695×全高1460mmというウィッシュとノア/ヴォクシーの中間的な背の高さのミニバンとしてデビュー。ガイアの後継モデルと思われるが、コンセプトは大きく違っていた。
アイシスは、助手席側にセンターピラー内蔵のパノラマオープンドアを採用することで、乗降性を高めているのが特徴だ。ユニバーサルデザインのラウムの要素をミニバンと融合した意欲作だった。
が、乗用タイプミニバン人気がひと段落し、背の高いミニバンに人気が映っている時代だったこともあり、中間的サイズのアイシスは中途半端な存在に映ったのだろう。
センターピラーのないミニバンとしては初代日産プレーリー、アイシスなどがあるが、どれも現在は消滅し、そのコンセプトは受け継がれていない。
ダイハツタント、タントのOEMのスバルシフォンのみが生き残っている状況だが、乗り手に優しく、使い勝手に優れるため、今後再登場に期待したい。
日産ティーノ:3ナンバー専用6人乗りハイトワゴン
販売期間:1998~2003年
日産ティーノは1998年に9代目サニーをベースにハイトワゴン化したモデルで、日産の意欲作だった。
全長4270×全幅1760×全高1610mmというショート&ワイド&ハイトという特異なスタイルを日産は『ティーノプロポーション』と称していた。
そのスペースにフロント3人掛けのベンチシートに後席3人で最大6名が乗車できるというのが最大のセールスポイントだった。日産の多人数乗車に対する挑戦でもあった。
そしてリアシートは3席がそれぞれ独立で脱着可能で、全部取り外すと3人乗車+カーゴ並みのラゲッジスペースを実現するなど、使い勝手にも工夫が凝らされていた。
ワンモーションフォルムは美しかったが、フロントマスクが個性的過ぎたのが仇になった感は否めない。それよりも日産で言えばセドリック/グロリアに匹敵する全幅1760mmのワイドな全幅が敬遠されたのは間違いない。
今ならコンパクトと言われる1760mmの全幅も当時の日本では大きすぎた。
100台限定販売で終わってしまったティーノハイブリッド(2000年)は、プリウスのバッテリーがニッケル水素だったのに対してこの時点でリチウムイオンを採用するなど、注目されたが、単発で終了してしまった。
最大のセールスポイントだった前席3人掛けのシートだけではダメだと判断した日産は前席2人掛けの5人乗りを追加。最終的には6人乗りを廃止して5人乗りのみとなった。
挙句には2002年10月にマイチェンした後、わずか半年後の2003年3月に日本向けの生産を終了。迷走に次ぐ迷走で、ティーノは大きな期待をされていたとは思えない悲しい終わり方となってしまった。
マツダペルソナ:インテリアへの強いこだわり
販売期間:1988~1992年
1988年にマツダから登場したブランニューカーのペルソナは、トヨタカリーナEDが先鞭をつけた、背の低い4ドアピラーレスハードトップだった。ベースとなったのはカペラで1.8Lと2Lの直4DOHCエンジンをラインナップ。
ユーノスブランドからは、兄弟車のユーノス300が販売された。
エクステリアデザインはカリーナEDに負けず劣らず背が低くスタイリッシュだったが、最大のセールスポイントは『インテリアイズム』と謳ったインテリアデザインだった。
当時としては高級セダンでも一部しかオプション設定のなかった本革をふんだんに使ったインテリアは圧巻。カタログでもエクステリアよりもインテリアの詳細説明にページが咲かれていたほどだった。
このインテリアイズムは1990年登場のユーノスコスモにも継承され、当時のクルマとしては異次元のラグジュアリーさを誇った。その先鞭をつけたのがペルソナだ。
ペルソナは、日本車として初めて灰皿とシガーライターをオプションとしたクルマとしても話題になった。
マツダがマルチチャンネルで混迷していた時期と重なった不運はあるが、内外装の美の追求は今のマツダでも継承されていることからも、マツダのターニングポイントとなったクルマの1台と言っていいかも。
スバルR1:居住性よりもデザイン追及
販売期間:2005~2010年
今ではオリジナル軽自動車の開発・生産から撤退しているスバルだが、ダイハツ、スズキといった王道とは一線を画す個性的軽自動車を輩出してきた。2005年にデビューしたR1はスバルだからこそできた軽自動車だ。
先にデビューしたR2がゆったり4人が乗れるのに対し、R1は2+2ではあるが、基本は前席2人のためという、ある意味非常に贅沢なコンセプトだった。
小さなボディに広い室内を実現させるため、軽自動車は全長3400mmという軽自動車規格にできるだけ近づけるのが当たり前のなか、デザインを優先するためにあえて全長3285mmのショートボディを採用している点も特筆だ。
凝縮感のある引き締まったデザインは、デビューから15年以上経過した今見ても斬新さと美しさを放っている。
軽自動車が人気となったのは、広さ、快適性、経済性の三拍子が揃っていたからで、R1はその中の広さ、経済性(R2よりも10万円程度高かった)でライバル対して劣っていたのが販売面で苦戦した理由だろう。
セカンドカーとして欲しいが、R1だけでは無理とR1を欲しいと思いながらも、最終的にハイトワゴン軽を選択したという話はよく耳にしたものだ。
普段2名以下での使用しかしない人でも、クルマを購入する時は余裕を求める日本では、R1のようなクルマが成功するのは難しい。
2代目ダイハツオプティ:トランク付きの4ドアハードトップ軽自動車
販売期間:1998~2002年
初代オプティは、1992年に3ドア専用モデルとして登場。後に5ドア、クラシックを追加することになったが、軽スペシャルティというコンセプトで、ダイハツの軽自動車のなかでも高級感、プレミアム感を売りとしていた。
2代目オプティはその軽スペシャルティというコンセプトを継承するにあたり、独立したトランクとノッチを持つ4ドアモデルとして誕生。
2代目ホンダトゥデイは独立したトランクを持っていたが(マイナーチェンジで廃止)、オプティはサッシュレスの4ドアハードトップボディが与えられていたのが斬新だった。ちなみに、4ドアハードトップは軽自動車の歴史上では2代目オプティのみだ。
せっかくの意欲作も、独立したトランクは容量、使い勝手ともハッチバックタイプに劣ったこと、車両価格が高めの設定だったこともあり、高い志を結果につなげることはできなかった。
異端モデルと見られがちだが、チャレンジしたその志は日本のクルマ史に名を残す。