■ホンダは乗用車ベースミニバンから流れを引き寄せた
●初代オデッセイ(1994年)
90年代前半、ホンダはバブル崩壊や現在のミニバンやSUVなどが該当するRVブームへの対応遅れにより、「三菱自動車に吸収されるのでは」という噂が流れるほどのピンチに陥っていた。
そんな時期に登場した初代オデッセイは当時の日本車にはなかった「乗用車ベースのミニバン」というコンセプトを持つモデル。
クルマ自体の出来が良かったわけではないものの、全体的な雰囲気と価格がリーズナブルだったことを大きな理由に大ヒットし、ホンダの経営立て直しに大きく貢献した。
なおオデッセイは4代目モデルまでヒンジドアだったが、初代オデッセイは生産の関係でスライドドアにできずヒンジドアとしたという経緯もあり、この点も乗用車的な雰囲気を強めることに一役買っており、「災いを転じて福となす」の言葉のいい例となった。
さらにホンダは初代オデッセイのあと初代CR-V、初代ステップワゴン、SM-Xというクリエティブムーバーと呼ぶRV商品群を展開。すべてヒット車となり、ホンダは一時期「RVのホンダ」と呼ばれるメーカーとなった。
●初代N-BOX(2011年)
この当時ホンダは東日本大震災と工場などがあるタイ国の水害による被災といった良くないニュースが続いていた。同時にこの頃からホンダは日本国内生産の維持の目的もあり、軽自動車に力を入れ始めており、その第一弾として登場したのが初代N-BOXである。
初代N-BOXの軽スーパーハイトワゴンというコンセプトに新鮮さはなかったが、押し出しの強いスタイルや成功したホンダ車に共通するリーズナブルな価格、ホンダというブランド力の強さを武器に大ヒットし、今では一番売れている軽自動車に成長した。
■マツダはロータリーを進化させた
●サバンナRX-7(1978年)
当時マツダはオイルショックにより、主力に育てようとしていたロータリーエンジンの燃費の悪さが致命傷となり、大きな痛手を負っていた。
初代となるサバンナRX-7は「ロータリーの汚名はロータリーで返上する」という意気込みで登場した、小ささに代表されるロータリーエンジンのメリットがフルに生きるロータリー専用のピュアなスポーツカーである。
サバンナRX-7に搭載された“ロータリーフェニックス計画”のもと開発されたロータリーエンジンはパワフルなまま実用燃費はともかくとして、カタログ燃費は40%向上。
走りもピュアなスポーツカーらしいカミソリのような切れ味を持つ、当時の日本車最速のものに仕上がっており、マツダ復活に大きく貢献した。
●初代デミオ(1996年)
マツダは90年代中盤からバブル期に展開した5チャンネル制の失敗により大ピンチに陥り、96年にはフォード傘下となった。
そんな頃に登場した初代デミオは、当時のフェスティバなどの基本コンポーネンツを使った手軽なスペース重視のコンパクトカーで、全体的に安っぽいところも否めなかった。
しかし車中泊も可能な広さやリーズナブルな価格を理由にヒット作となり、マツダ再建を強く後押しした。
■三菱自動車を救った軽自動車
●初代eKワゴン(2001年)
当時三菱自動車はリコール隠しにより業績が急激に悪化しており、2000年にダイムラークライスラーと資本提携を結んでいた。
そんなつらい時期に登場した初代eKワゴンはスズキワゴンRの全高を若干低くした、全体的にシンプルな成り立ちの軽ハイトワゴンである。
初代eKワゴンはシンプルながら堅実な仕上がりだったのに加え、価格も上級グレードで約100万円とリーズナブルだったことも理由にヒット車となり、当時の三菱自動車を一息つかせた。
しかし、現在も経営再建中の三菱自動車において初代eKワゴンのような救世主は今のところ現れていない。
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