■三菱、マツダ、スバルも負けじと革新的な技術を搭載
同じ年、三菱もホンダを追うようにGTOを送り出した。北米市場をターゲットにしたスポーツクーペで、GT-Rと同じように6気筒DOHC(こちらはV型)エンジンにツインターボを装着し、三菱自慢の4WD技術と4輪操舵も採用する。
三菱GTOが登場する少し前、運輸省(現・国土交通省)は過熱なパワー競争に釘を刺し、業界団体の日本自動車工業会を介して280psの自主規制を各メーカーに通達した。
だからGTOも3Lのツインターボの最高出力を280psにとどめている。だが、最大トルクを増強することに注力し、42.5kgmの分厚いトルクを実現したのだ。トヨタも70系スープラのターボを280psまで引き上げ、フラッグシップのソアラも戦闘力を高めた。
マツダは1990年に3ローターのロータリーエンジンを積むユーノスコスモを投入する。シーケンシャルツインターボのロータリーはパンチがあるだけでなく滑らかさも群を抜く。
高級なレザーやウッドを多用したインテリアもフラッグシップにふさわしい上質な仕立てだった。しかもマツダはもう1台、走りのスペシャリストを用意している。それがアンフィニ店での発売となった第3世代のRX-7(FD3S)だ。ライバルと違ってデビュー時は280psに届いていなかった。
だが、5kg/psを切るパワーウエイトレシオを利して、チョーの付くくらい気持ちいい、意のままの走りを楽しむことができる。
それほど販売量の多くないスバル(当時は富士重工業)も1991年秋にアルシオーネSVXを発売した。車名の語源である「アルキオネ」は、スバル星団でひときわ輝いている星だから、この4WDスペシャルティカーはスバルのフラッグシップを意味している。
鬼才、ジウジアーロがデザインを手がけ、エンジンは3.3LのEG33型水平対向6気筒DOHCだ。これに電子制御4速ATを組み合わせた。4WDシステムは、電子制御油圧多板クラッチによって前後輪のトルク配分を50対50まで自在にコントロールするVTD式4WDで、路面にかかわらず痛快な走りを見せつけた。
■人気はフラッグシップスポーツからレクリエーショナルビークルへ
これらのフラッグシップスポーツの多くは、北米のマーケットを強く意識して開発され、右ハンドル車より左ハンドル車のほうが販売台数が多かったクルマもある。
が、1990年代の早い時期に、湾岸戦争の勃発や円高などに弄ばれ、バブルは一気にしぼんだ。ニッポンの経済は停滞し、「失われた10年」の幕が開けた。当然、自動車業界も不況に陥り、ガクンと販売を落としている。バブル期の多大な投資が裏目に出て、経営は悪化した。
そこで研究開発費なども削ったから、次期フラッグシップスポーツの開発どころではない。スポーツモデルの開発計画はあったが、そうした新規プロジェクトは続々と凍結していった。
ユーザーの嗜好も変わってきている。それまではカップルや子育てを終わった世代がスポーツクーペを乗り回していた。だが、ファミリーや気心の知れた仲間とアウトドア・レジャーや旅行を楽しみたいと考える人が富裕層にも増えてきた。
こういう人たちはレクリエーショナルビークル(RV)に目を向けるようになる。高級ミニバンのエルグランドやアルファードがもてはやされ、ハリアーのヒットによってプレミアムSUVに乗りたがる人も増えた。
ミニバンやプレミアムSUVは、ファン層が厚いから定期的にモデルチェンジする。だが、性能競争が熾烈で、ファッション性も大事なのに、2000年代初頭のこの頃、フラッグシップスポーツはマイナーチェンジで急場をしのいでいた。
たとえばNSXは10年以上に渡って改良だけで売り続けている状況であり、北米で高性能車の保険料が一気に高くなったこともあって、フェアレディZは北米から一時的に撤退した。これはライバルにとっても衝撃だったはずだ。
ジリ貧になった日本勢の隙を突いて欧州勢が攻勢をかけてきた。が、この頃の日本の自動車メーカーにはそれに太刀打ちできる体力が残っていなかった。
21世紀になり、日産がフェアレディZを復活させ、GT-Rを一新した。ホンダもアメリカ主導で2代目NSXを送り出したが、早くも生産終了がアナウンスされている。環境性能を高めながら高性能な新世代のフラッグシップスポーツを、と期待するが、先行きは不透明だ。
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