慧眼だった!? 愚策だった!? もし軽自動車の64馬力自主規制がなかったら

慧眼だった!? 愚策だった!? もし軽自動車の64馬力自主規制がなかったら

1987年2月に登場したアルトワークスをきっかけに、当時の軽自動車メーカーが設けた、軽自動車の64馬力自主規制。この自主規制が設けられてから、今年で31年になる。

なぜ、31年も経っているのに、いまだに撤廃されないのか? もし、64馬力自主規制がなかったら、どうなっていたのだろうか? モータージャーナリストの鈴木直也氏が解説する。

文/鈴木直也
写真/ベストカー編集部


■1987年に始まった軽自動車の64馬力自主規制

1987年2月にデビューしたアルトワークスは、64馬力自主規制が生まれるきっかけになったクルマだ。F5A型493ccの直3、インタークーラー付きDOHC12Vターボは64ps/7.3kgmを発生、軽く1万回転まで回るエンジンだった。当初78ps出ていたとされるが実際には64psに抑えられた

最近の若い人はご存じないかもしれないが、かつて我が国には「最高出力の自主規制」という不思議なものが存在した。 時はバブル経済まっ盛りの1989年、この年デビューしたZ32型フェアレディZが3L、V6ツインターボで登場したのがきっかけ。

これを運輸省(当時)の役人が「馬力競争の引き金となるのではないか?」と問題視。本来の輸出仕様では300馬力オーバーとなるスペックを280馬力に抑える行政指導を行なったのが事の始まりとされている。

最近は法令に基づかないヘンな行政指導を行ったりすると、即座にネットを中心とするメディアで叩かれるが、当時はそんな実情を知る一般市民は少なかったし、許認可権を握る役所の力が圧倒的に強かった時代だ。

法令にも省令にも明文化されたルールは存在しないのに、役人が口頭で「意向」を伝えると、メーカー側が「自主規制」で応じるという、いかにも日本的な忖度の関係。下手に逆らって新車の型式認定にケチでもつけられても困るから、各社横並びでそれを受け入れたというわけだ。

実は、運輸省がこの手を使ったのは初めてではなく、1987年には軽自動車Nの最高出力64馬力自主規制が先にスタートした。

今回は、この軽自動車の64馬力自主規制を取り上げたいと思う。 もしも、この自主規制がなかったら、どうなっていたのかということも大まじめに考えていきたいと思う。

■550ccのアルトワークスが64馬力で登場し、自主規制が始まる

解説する前にちょっと整理する必要がある。現在の軽自動車規格は1998年10月から適用されているもので、全長3400mm以下、全幅1480mm以下、全高2000mm以下、排気量は660cc以下と決められている。もちろん、軽規格には64馬力の軽自動車自主規制は含まれていない。

この64馬力自主規制の引き金を引いたのは、1987年2月に発売されたアルトワークス。550ccながら64馬力のDOHCターボエンジンを搭載。衝撃的なパフォーマンスを発揮したのがキッカケだ。

このアルトワークスに搭載されていたF5A型550cc直3ターボエンジンは、当初は78馬力と言われている。しかし、衝突安全性が現状では確保できていないとお上に指摘され、結局は64馬力で発売となった。

今も昔も軽自動車市場はライバルの動向に敏感だから、競合各社ともこのスズキの動きに敏感に反応。宿敵ダイハツはミラTR-XXで対抗し、まだ元気だった三菱はミニカダンガンZZで気筒あたり5バルブDOHCエンジンを開発。パワー競争に一気に火がついてしまったわけだ。

軽規格が660ccとなってからも留まることをしらず、64馬力に収まるものの、ミラTR-XXアバンツァートやミニカダンガンZZが登場し、スバルからも9000rpmまでシュンシュン回るスーパーチャージャー付きのヴィヴィオRX-Rが誕生している。

アルトワークスが誕生するきっかけになったのは1985年11月にデビューした初代ミラターボTR-XXだった。1994年9月にフルモデルチェンジした660ccになった4代目ミラにはアバンツァート、LSDやリアディスクブレーキなど専用足回りを装着したアバンツァートR(写真)、フルタイム4WDとなるアバンツァートR4をラインアップ。またモータースポーツ用車両にチューンされたX2やX4グレードも用意。アバンツァートは659cc、直3インタークーラー付きDOHCターボで64ps/10.7kgmを発生。レッドゾーンは8000rpm

1989年1月に登場したミニカダンガンZZは、直列3気筒DOHC550ccにインタークーラーターボを組み合わせ自主規制値いっぱいの64psを発揮 。しかもこのエンジン、1気筒あたり吸気3本、排気2本の5バルブという量産4輪車世界初の5バルブDOHC(2輪ではヤマハFZ750)。1990年に8月からは660ccになっても64psは維持

1992年3月に登場したヴィヴィオRX-Rは高圧縮比9.0、レッドゾーンが9000rpmというスーパーチャージャー付きの658cc直4を搭載。64ps/9.0kgmを発生したが、前期型は10ps超えていたといわれている。コリン・マクレー含む4台のRX-R4WDが1993年にサファリラリーに出場。一時期トヨタワークスのセリカを上回る4位を走行していたがリタイヤ。パトリック・ジルがクラス優勝をはたしている

自主規制の発端となった550cc時代の64馬力は、最新軽自動車の64馬力とはだいぶドライブフィールが違っていて、ひと言でいえば、ホットハッチそのもの。550ccと排気量が小さいこともあり、トルク特性はかなりピーキー。

当時はまだMTが主流だったから、シフトワークを駆使してターボパワーの炸裂する高回転域をキープするような走りが醍醐味だった。

こういう過激なバリエーションは、軽自動車本来の存在意義からすると異端なのだが、時あたかもバルブ景気の上昇期。軽全体が長い低迷から脱して上り調子だったがゆえに、けっして使いやすいとはいえないうえに、高価なターボ仕様がホイホイ売れてしまう。軽自動車もバブルに踊っていたわけだ。

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