巨星堕つ…日本自動車ジャーナリズムの創成期を築いた三本和彦氏追悼記

■新聞社で写真記者として自動車に触れる

 その後、東京新聞に見習い写真記者として入社した三本さんは、次第に写真記者として自動車記事にかかわるようになっていく。

 ちょうどこのころ、小林氏は創刊メンバーとして「カーグラフィック」を立ち上げた。自動車そのものを評論する雑誌に対し、三本さんは新聞記者として自動車を取り巻く経済や産業、さらには自動車と人とのかかわりなどを中心に取材をし、写真を撮り、記事を書いていった。

 この時代の経験や人脈などが、その後の「モータージャーナリスト」三本和彦の基礎を固めていったことは間違いない。

東京新聞を退社する直前の三本氏。手にするカメラは、学生時代に憧れたスピードグラフィック、通称「スピグラ」だ。当時取材で愛用したカメラ
東京新聞を退社する直前の三本氏。手にするカメラは、学生時代に憧れたスピードグラフィック、通称「スピグラ」だ。当時取材で愛用したカメラ

 その東京新聞時代の1964年、プリンス自動車が送り出したスカイライン2000GT-Aに対し「羊の皮をかぶった狼」と記事で表現。

「この言葉を最初に使ったのは、たぶんボクだと思う」と三本さんは言っていたが、この表現が、最初はプリンス自動車の副社長を激怒させた。

 一生懸命作ったクルマを狼などとは何事か、というのが理由だったので、三本さんがこれは最大級の賛辞であることを説明。

 その後、この言葉が「スカG」のイメージを的確に表現していることから広く浸透し、プリンス自動車側から歓待を受けたというエピソードも教えてくれた。

 三本さんが東京新聞を退社したのは1967年のことだった。その少し前に東京新聞社が中日新聞社との関係を持つようになり、職場の雰囲気が変わり、息苦しさを感じていたのだという。

 こうしてフリーランスのモータージャーナリストとなった三本さんは、持ち前の好奇心、探求心で次々と自動車業界の中心に切り込んでいくのだが、ここから先は皆さんがよく知る三本和彦さんである。

 クルマそのものはもちろんだが、それ以上に三本さんが大切にしたのが人との出会いだ。

 エンジニアや経営者を知ることで、なぜその商品(自動車)が生まれてきたかを理解することができる。もちろん、おかしいと思えば思ったことを提言する。そうして深い関係を築き上げ、三本さんの提言が新車開発に反映されたことも少なくない。

 こうした骨太なジャーナリスト魂で日本のモータリゼーションの発展をともに歩み、伝え続けたのが三本和彦さんなのだ。

 長年にわたり先頭を走り、多大なる功績をあげた功労者、三本和彦さんに感謝を申し上げるとともに、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

誌面では厳しい言葉を投げかけるも、それはすべて使う人目線の言葉であった。三本さん、長いあいだありがとうございました(ベストカー編集部一同)
誌面では厳しい言葉を投げかけるも、それはすべて使う人目線の言葉であった。三本さん、長いあいだありがとうございました(ベストカー編集部一同)
【画像ギャラリー】その眼差しは常に「使う人の立場に立って」。三本さんの歩んだ道のりをギャラリーで辿る(10枚)画像ギャラリー

新車不足で人気沸騰! 欲しい車を中古車でさがす ≫

最新号

S-FR開発プロジェクトが再始動! 土屋圭市さんがトヨタのネオクラを乗りつくす! GWのお得情報満載【ベストカー5月26日号】

S-FR開発プロジェクトが再始動! 土屋圭市さんがトヨタのネオクラを乗りつくす! GWのお得情報満載【ベストカー5月26日号】

不死鳥のごとく蘇る! トヨタS-FR開発計画は再開していた! ドリキンこそレジェンドの土屋圭市さんがトヨタのネオクラシックを一気試乗! GWをより楽しく過ごす情報も満載なベストカー5月26日号、堂々発売中!