あと2カ月あまりで平成という時代が終わろうとしている。この平成の31年間、いったいどれほどのコンセプトカーが生まれたのだろうか?
そのなかで、新しい元号の時代へ引き継いでほしい秀逸なコンセプトカーのスポーツモデルを取り上げたいと思う。
さて、どんなコンセプトスポーツが本企画で再登場するのか? モータージャーナリストの岩尾信哉氏が解説する。
文/岩尾信哉
写真/ベストカー編集部
■平成の31年間で記憶に残るコンセプトスポーツは?
モーターショーを飾るコンセプトカーは、さまざまな意図を持って世に送り出される。荒唐無稽と思わせる大胆なモデルもあれば、徹底的にスタイリング重視のデザインコンセプトや量産化を睨んで現実的なアプローチを施したもの、あるいは“前振り”効果を狙って様子見を兼ねて登場させるほぼ新型車という場合もある。
ここでは平成生まれの惜しくも量産化に届かかず、次の元号の世によみがえる、量産化に漕ぎ着けてほしいと願ってやまない「コンセプトスポーツ」を紹介していきたい。
ちなみに、ヤマハOX99-11やジオット・キャピスタといったスーパースポーツたちは、バブル期の儚い夢あるい時代の徒花の印象が強い特別なモデルなので、別の機会に譲ろう。
■三菱HSRシリーズ 1987~1997
HSR−Ⅰ(1987年)/HSR−II(1989年)
初代HSRは昭和62年の発表なので厳密には「平成生まれ」ではないのだが、「シリーズ」として扱うことにした。「ハイ・ソフィスティケーティッドトランスポート・リサーチ」の頭文字からHSRと名づけられた三菱の一連のコンセプトカーは、1987年のHSRから1997年のHSR-VIまで6車種におよぶ、当時の三菱の研究開発中の最新技術を注ぎ込まれたモデルだ。
初代HSRの登場のインパクトはかなりのもので、30年以上を経た今でもスタイリングは充分に未来的だ。アクティブサスペンションを初めとして、4WDや4WSなどといった電子制御機能をはじめ、リアデッキ上部に備わるエアブレーキによる空力制御機構など「これでもか!」とふんだんに与えた技術はコンセプトカーにふさわしい。
かつては“画に描いた餅”といって揶揄されることもあったが、新技術を紹介するショーモデルと割り切れば意味はあったに違いない。実際、自動車メディアの端くれとしても「今度のHSRはどうくる?」と思わせる大胆な提案さに期待していたことも認めざるをえない。
設定されたエンジンを見ると、初代の2L直4ターボから、IIでは3L、V6ツインターボ、III/IVでは当時流行の小排気量・多気筒化技術を利用した1.6L、 V6(マツダは1.8L 、V6を開発した)を搭載。
HSR−III(1991年)/HSR−IV(1993年)
1991年の東京モーターショーで公開されたHSR-IIIは前2作と違い、現実味のあるライトウエイトスポーツカーという仕立てで、ルーフは電動開閉式でガルウイングドアを備え、フロントには1.6L、V6DOHCエンジンを横置きに搭載していた。
1993年に公開されたHSR-IIIではHSR-Ⅱをさらに進化させたライトウエイトスポーツで、電動でクーペ/タルガトップ/オープンに変えられる機能を備えていた。いずれの2作のライトウエイトスポーツは日の目を見ることはなかった。
HSR−V(1995年)/HSR−VI(1997年)
HSR-Vから1.8L直噴ガソリン直4(後のGDIエンジン)、VIでは2.4L、直4の量産エンジンを与えた。VIまではいずれも横置きFWDを基本とした4WDとして、パワートレーンは量産モデルとつながっていることがわかる。
Vでようやくミッドシップレイアウトを採用、ヨーコントロールシステム(後のAYC)を装備したのち、VIでは自動走行モードを想定するに至るなど、システム全体の変化も面白い。
最終型のVIではまさに三菱の技術の展覧会車両だった。アルミフレーム構造にポリカーボネート製ボディパネルを備え、今まさにドイツメーカーが研究開発で鎬を削っている、自律自動運転技術を紹介していることは改めて驚かされる。
三菱がダイムラーとの合併劇などで疲弊する以前に、技術力を誇るために生み出されたHSRシリーズは、10年間という長きにわたってコンセプトカーを“シリーズ化”する手法も唯一無二であり、今後もあり得ないだろうが、三菱のスーパースポーツのコンセプトモデルをもう一度見たいと思えるのはHSRがさほど身近に“未来”を感じさせるモデルだったからに違いない。
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