何もできなかった。カーデザイナーになるしか生きる道がなかったんです
続いて青木氏の個人的な話も聞いていきたい。オロチ、ロックスターなど個性的なクルマをデザインするその能力は、どう磨かれてきたのか?
ベストカー:子どもの頃からカーデザイナーになりたかったんですか?
青木:中学生の頃からですかね。それしか道がなかったからしがみついたという感じです。勉強もスポーツもダメで、唯一できたのが絵を描くこと。目立たない生徒だったんですけど、学校の名物先生の絵を描いたりすると、好きな女の子が笑ってくれたりする。その瞬間だけ「俺は生きてる」と感じるわけですよ(笑)。
絵を描くことしかできない。親父の影響もあってクルマは大好き。だったらカーデザイナーしかないと思って、東京に出て専門学校に入ったんです。
ベストカー:ミツオカを選んだのは?
青木:僕が選んだのではなく、選んでいただいたわけです。僕は就職超氷河期世代。大手のメーカーさんでもデザイナーはひとり採るか採らないかという時代で、どこを受けても全部ダメ。西早稲田のボロアパートでやさぐれて「諦めて栃木に帰るべ」と思っていたら、クルマ雑誌の裏にミツオカの広告を発見したんです。「ミツオカってなんだ?」と思いながら、やけっぱちで電話しました。
とにかく「作品を送るので見るだけでも見てください!」と頼んで送ったら、当時の社長(光岡進現会長)が面接してくれたんです。
その時は面接の正しい受け方なんて全然関係なし。「頭が悪いし体力もなく、自動車メーカーの試験も全部落ちたけど、とにかく自動車が大好きなんです」とお伝えしたら、捨て猫を拾うように雇ってもらえたんです。
ベストカー:ミツオカが世の中にあってよかったですね(笑)。
青木:まったくです。ボロアパートの時代に、いつも同じところを通るヘンなクルマがあって「こんなおかしなクルマがあるんだな」と思いながらよく見てたんですけど、今思うとそれはミツオカ・ラセードだったんです(笑)。
ヒーローが憎くてしょうがない(笑)
ベストカー:アイデアが浮かぶのはどんな時ですか?
青木:ある日の出来事や体験の点が繋がっていく感覚ですね。クリエイターのはしくれとして、何かを見聞きするとか引き出しを増やす作業は絶やさないようにしてますが、特別なことをしている意識はありません。ただ、いろんなことが気になる気質ですね。それがデザイン、コンセプト、ネーミングに繋がる感じですかね。
ベストカー:影響を受けた人は?
青木:影響された人は思いつきませんが、小さい頃からダークヒーローが好きですね。メインのスーパーヒーローと戦うほうの悪役。子どもの頃からスポットライトが当たる人間ではなかったので、ヒーロー的なやつが憎くてしょうがない(笑)。みんなが認めるものを拒否したがるヒネクレ者なんですよ。ワールドカップもオリンピックもいっさい観ません。全国民が応援しているみたいに協調性を強要されるのがイヤで、常に勝手に反抗している感じです。マイノリティを認めてほしいんです。
ベストカー:デザインのモチーフにするのはどんなものですか?
青木:モチーフはなんでも。自然や日常からヒントを得ることが多いですね。「ロックスター」のイメージカラーは青なんですけど、あれは3年前に初めて沖縄の竹富島で見た、感動するほどきれいな海の色なんです。いつかこの色が似合うクルマを作りたいという思いがあって、それで「ロックスター」ができたともいえます。あの青は「ロサンゼルスブルー」と呼んでますけど、本当は「竹富ブルー」なんです。でも、そこはアメリカしばりなので(笑)。
ベストカー:デザインをするうえで心がけていることは?
青木:世間の感覚とズレたくないということですね。商品を買うのは一般の方、デザインは素人の方なので、なるべく一般の感覚を持って、素人の方に喜んでもらえる日常的な商品を作りたい。
「ロックスター」についてもいろいろな意見をいただきますが、どんなコメントも嬉しいです。批判的なコメントも「そのとおりだな」と思うし、一般の方が反応してくれて買ってくれるのが僕の正解。プロのデザイナーに認められたいというような思いは全然なくて、買ってくれた人が喜んでくれる、幸せだと思ってくれるのがゴールなんですよ。さっき言った、学校の名物先生の絵を描いて好きな子が喜んでくれるのと同じなんです。
ベストカー:今後、成し遂げたいことは?
青木:ミツオカのクルマでもっとびっくりしてほしいし、楽しんでほしいですね。僕自身、次は何をやってくれるのか、いちファンのような目でミツオカを見ています。みんなと同じもの、価値観はつまらない。ミツオカだから許されるというものを追求していきたいです。
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反骨精神が原動力だという青木氏。大メーカーにはできない、ミツオカならではのクルマ作りをこれからも期待したい。
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