2008年あたりから、軽自動車が年間の新車販売に占める割合が30%近くとなった。2012年に30%を突破し、その状況が3年続く。現在は30%を切るが、28%と高い比率を維持している。
なかでも、2011年に誕生したホンダのNシリーズが、人々の注目を集め、2018年までの4年間(2015~18年)で1位の販売数だ。
また、日産と三菱は、出資比率半々でNMKV社を2011年に設立し、日産は自社が開発に関わるかたちで本格的な軽自動車参入を明らかにした。
一方、スバルは、翌2012年に自社での軽自動車開発を止め、登録車に集中し、軽自動車はダイハツから提供される車種に自社の車名を付けて販売することにした。
ともに軽自動車を四輪の原点としながら、かたや2010年代に自社生産から撤退、かたや日本一売れるモデルを生み出し、対照的な道を選んだスバルとホンダ。
なぜ、スバルは軽を辞め、ホンダは軽に注力するのか。その背景には、両社が歩んだ歴史と戦略の違いが大きく関係している。
文:御堀直嗣
写真:編集部、SUBARU
軽を原点に名を挙げたスバルとホンダ
歴史を振り返ると、スバルもホンダも軽自動車で名をあげた自動車メーカーだ。
SUBARU(当時は富士重工業)は、1958年にスバル360を売り出し、自動車製造に乗り出した。
ホンダ(本田技研工業)は、1962年に軽トラックのT360を発売することで、2輪メーカーであることに加え、4輪メーカーとしての事業をはじめた。
ホンダの軽を不動のものとしたのは1967年のホンダN360であり、現在のNシリーズは当時の意気込みを継承したものといえる。
Nシリーズの開発を牽引したのは、今年、ホンダF1を優勝に導いた浅木泰昭だ。
浅木氏は、それまで軽自動車開発を経験したことがなく、F1エンジンやV型6気筒エンジンの開発を手掛けてきた人である。
ダイハツやスズキのように、長年にわたり軽自動車を主体に開発をしてきた自動車メーカーと違った視点でNシリーズ開発に取り組んだことが、いまのホンダの強い軽につながっている。
それにしても、ホンダはなぜ、ここにきて軽自動車に力を注ぐことになったのか。かたやスバルは、長年主力の一つとしてきた軽自動車をなぜ他社にゆだねたのだろう。それは、両社の発展史における経営戦略の違いによると考えられる。
ホンダとスバル 違い生んだ米国進出の「時期」
ホンダが、米国市場に進出したのは、創立から11年後の1959年のことだ。国内における2輪販売の基盤を築いたホンダが、海外進出の一番目に選んだのが米国だった。2輪でまず進出し、次に4輪へ拡大した。
さらに、1970年代後半に米国での現地生産工場の建設を決め、1982年にオハイオ州で4輪車組み立てを開始している。
ホンダは今日なお世界の自動車メーカーが販売の主力の一つ(最大の市場は中国)としている米国に、積極的な進出をはかり、成果を残してきた。米国以外の海外進出も盛んで、年間の新車販売台数が約500万台におよぶ大手自動車メーカーになった。
スバルは、1970年代のレオーネに北米仕様を設け、米国市場への輸出をはじめた。日本では販売しないピックアップトラック風のブラットなど米国を意識した商品を送り出している。
また、スイングバックと名付けられたハッチバック車と、4輪駆動の組み合わせが好評となり、一定の人気を確保した。
また、スバルも、1987年にいすゞとの合弁で米国に現地工場を進出させている。現在の企業規模としては、年間約100万台だ。
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