なぜスバルは軽をやめ、ホンダは軽に力を注ぐのか!?

スバルが登録車へ舵を切り、ホンダが軽に注力した訳

2012年まで生産された最終型のサンバー。同年をもってサンバーはダイハツのOEMとなり、スバルは54年にわたる軽自動車生産の歴史に幕を閉じた

 スバルの経営が、選択と集中により登録車に自社開発を絞るきっかけとなったのは、2005年のトヨタとの提携によるところが大きいのではないか。

 トヨタグループには、ダイハツがいる。提携前後のスバルの軽自動車は、国内市場で苦戦気味であった。

 1993年に登場したハイトワゴンのスズキ ワゴンRや、2003年に生まれたスーパーハイトワゴンのダイハツ タントなど、消費者は背の高い軽自動車の空間を生活や趣味に活かすことを期待したが、スバルはR1やR2といった乗用車型にこだわった。

 また、エンジンは他社が直列3気筒と割り切ったのに対し、直列4気筒の技術にこだわった。

 スバル360や、スバル サンバーなど、独創的な造形や、CVT(ベルト式無段変速機)を業界の先陣を切って採用するなど、技術的特徴や先進性に重きを置くことで独自性を模索したが、市場の要求との落差は埋めることができず、ファンに惜しまれながらスバルは軽自動車から手を引かざるを得ない経営状態になってしまったのだろう。

 ホンダは、一本足打法などともいわれながら、米国市場に依存した経営体質からなかなか脱却できずにいた。

 1990年代のホンダは300万台規模のメーカーであり、他社との提携をせず独自路線を進みながら400万台規模へ押し上げていった。そうしたなかで、リーマンショックや東日本大震災に見舞われたのである。

 前任の伊東孝伸社長時代に世界600万台規模への拡大路線を歩みはじめ、その達成には、国内の軽自動車へのテコ入れも必要であったのだろう。

 フィットで成功したセンタータンク方式の車作りは、小型SUVや小型ミニバンなど広く応用でき、独自の商品性を生み出した。これに軽自動車が加われば国内市場の充実もはかれる。

 加えて、現在の八郷隆弘社長は4輪事業の体質強化策として、〈グローバルモデル〉と〈地域専用モデル〉を分け、それぞれを強化する手法をとる。

 グローバルモデルは、伝統的主軸であるシビックやアコード、そしてCR-Vやフィットなどであり、日本に向けた地域専用モデルとして軽自動車(Nシリーズ)がある。

グローバル化のなかで創業者の精神宿るホンダの軽

2011年に初代モデルを発売し、2017年に現行型へモデルチェンジしたN-BOX。今では軽のトップに君臨するだけでなく、登録車も含めた販売No.1に輝く大ヒット車に

 軽自動車は、従来から経済性などで人気があるとされてきたが、実は、現在の軽自動車規格による車体寸法は、車幅において1960年代の初代カローラやサニーとほぼ等しく、日本のモータリゼーションを牽引してきた小型車と同様の大きさである。

 道幅や駐車場など、交通の社会基盤は5ナンバーを主軸に発展してきた歴史があり、3ナンバー車が増える今日、日本においてもっとも扱いやすいクルマが軽自動車なのだ。

 さらに、軽自動車には、スポーツカーや4輪駆動車、SUV、あるいは女性を主な狙いとして的を絞った車種の開発など、品揃えが豊富であり、選ぶ自由度が高い。軽自動車人気が高まるのは当然のことだ。

 軽自動車規格に納めながら、登録車開発の発想で取り組むホンダの軽に人気が集まっているというのが、現状であろう。

 ホンダの軽自動車の拡充は、消費者を喜ばせている。「買って喜び・売って喜び・作って喜ぶ」という、本田宗一郎の精神が、ホンダの軽自動車に詰まっている。

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