ジェントルマンドライバーが秘密を公開 スーパー耐久の頂点に立てたわけ

ジェントルマンドライバーが秘密を公開 スーパー耐久の頂点に立てたわけ

スーパー耐久、スーパーGTに参戦しているアマチュアドライバー。通称「ジェントルマンドライバー」。アマチュアといっても彼らの速さは趣味のレベルをはるかに超え、プロの領域に迫る。今回は昨年スーパー耐久ST-Xクラスでチャンピオンに輝いた内田優大選手にスポットを当て、レースへの取り組み方と、速さの秘密を公開してもらった。

文:WEBベストカー編集部/写真:西尾タクト、塩川雅人



平日は社長業、週末レーシングドライバー


レーシングドライバーというと日産の松田次生選手や、トヨタ(レクサス)の立川祐路選手を思い出す。彼らのようにメーカー、チームから依頼されて契約金でレースに参戦する選手たちは本業が「レーシングドライバー」となる。

いっぽうでジェントルマンドライバーはGT300やスーパー耐久などに参戦するアマチュアで、チームへのスポンサードなどの対価としてレーシングカーのシートに座る。もちろん一般的なサラリーマンではなく、企業のオーナーが広告効果などの実益を兼ねて参戦することがほとんどだ。

ではお金さえあればどんなカテゴリーでもレースに参戦できるかと言えば、そんなことはない。チームも年間数千万円〜数億円という投資をレースに対して行うから、無条件に誰でも高価なレーシングマシンに乗せるわけにはいかない。

例えばスーパー耐久の最高峰クラス「ST-X」は、使用車両がスーパーGT(GT300)と同じGT3マシンとなり、チーム体制もかなり大がかりなものになる。そこに乗るジェントルマンドライバーは資金力もさることながら、プロに匹敵するドライビングテクニックも求められる。

そこで今回、昨年のスーパー耐久ST-Xクラスでチャンピオンを獲得し、国内格式のレースでジェントルマンドライバーの頂点に立ったともいえる、内田優大選手にインタビューをする機会を得た。内田選手のジェントルマンドライバーへの道に迫る。


近藤真彦監督とモニターを見つめる内田選手。国内格式で、ジェントルマンドライバーのトップに君臨する選手でもある

ジェントルマンドライバーへの道を切り開いた、10代の頃の原体験とは?


現在はスマートフォン関連の会社の代表を務めつつ、スーパー耐久にフル参戦する。52歳という円熟の年齢ながらレースキャリアはわずか2年。そんな内田選手がジェントルマンドライバーになるまでをインタビューした。

――なぜレースに出ようと思ったのですか?

内田選手(以下、内田):そもそものモータースポーツとの出会いは、2011年の富士スピードウェイでのフェラーリのドライビングスクールでした。そこでいまでもお付き合いのある藤井誠暢選手やロニー・クインタレッリ選手に出会ったんですよ。

――モータースポーツの楽しさを感じましたか?

内田:楽しさもありましたが自分の運転への新発見もありました。この時は最初のサーキット走行ながらファステストタイムで走ってしまったんですよね。ただこれはトラフィックのないフリー走行での話で、後々レースをした時には周りの選手への接触が怖くて、どんどん順位をさげた苦い思い出もあります。

――お若い頃からクルマで走り回っていたのですか?

内田:10代の頃にKAWASAKIのGPZ400という400ccのオートバイに乗っていて。雨の日にリアをスライドさせるのが妙に楽しかったんです(笑)。リアが滑る感覚や細かな挙動をつかむのが得意だったようで、もしかしたらそれがレーシングカーに乗っていてもカウンターステアを当てる操作につながったかもしれません。

――レースデビューは2014年だったと聞きましたが。

内田:2011年の最初のサーキット走行で藤井選手から「レースやったほうがいいですよ!」と誘ってもらいました。実際のレースデビューは2014年のランボルギーニトロフェオでした。その後はフェラーリチャレンジにも出場しました。最初は緊張しっぱなしで、せっかく予選上位でもどんどん自分でブレーキを踏んでしまうんですよね。

――レースとサーキットのフリー走行は違った?

内田:やはり他にクルマがいないフリー走行とは違って、他のクルマにぶつけてはいけない、走行ラインを潰してはいけないなど、自分のなかで妙な遠慮がありましたね。海外の選手たちのサイドバイサイドのアグレッシブな走り方で揉まれて、自分のレース勘が養われたと思います。その後はレースでの走りにも慣れてきて、トロフェオでは優勝も経験してプロアマクラス年間5位でした。


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スーパー耐久へのステップアップが訪れる


ジェントルマンレースで表彰台の常連になってきた内田選手。そんななか、かねてから内田選手の走りの才能に惚れ込んでいた、藤井誠暢選手を擁するKONDOレーシングからスーパー耐久への誘いがあったという。

「スーパー耐久、しかもGT3マシンで戦うST-Xクラスへの参戦なんて夢みたいでした。しかもチームは近藤真彦監督が率いるKONDOレーシング。これ以上の悦びはないですよね」と内田選手は当時をふり返る。

オーディションも一発合格で、晴れてスーパー耐久24号車のドライバーになった。24号車はプロドライバー2人と共に3人で1台のクルマを乗り継ぐチーム体制。内田選手の相棒となったのがスーパーGT(GT300)に参戦する藤井誠暢選手/平峰一貴選手だった。それがプレッシャーにもなったという。

「S耐はプロと走る耐久レースですから、自分のせいで壊したらとか、ラップタイムが遅かったらなど、走る1カ月前から常に不安が脳裏に浮かんでいました。ひとりで走っていたジェントルマンレースとは違うプレッシャーですよね」

そんな言葉とは裏腹にテストで内田選手は持ち前の速さを活かした走りを見せる。

「藤井選手から"速さに関しては心配要らないから安定した走り"をと言われていました。それで安心したところはあります」

そして初戦から優勝。その後もチームのプロ2人に負けないラップタイムを刻み続け、なんと年間6戦中全戦表彰台、4回優勝という快挙に貢献した。最終戦オートポリスを残した、第5戦岡山でシリーズチャンピオンを決め、レース歴2年でなんとスーパー耐久の頂点に立ってしまった。

「自分のなかで"全力の一歩手前"という定義が変わったんですよ。初戦では安定感を求めると全力の80%くらいが限界だったのが、5戦目では95%くらいまで安定的に発揮できました。乗っているときはプロと同じタイムで走っていたという意識はないのですが、結果としてはひとつ夢が叶ったなと思いました」

「最速のジェントルマン」/「計算できるジェントルマン」。内田選手をそう称する関係者も多い。2016年シーズンにスーパー耐久24号車を追いかけたベストカー編集部も、その称号は決して大げさではないと断言したい。


内田選手のドライビングは冷静かつ速い。その判断力は百戦錬磨のベテランレーサーの風格すらある


"師匠"の藤井誠愓選手(右)とのワンシーン。36歳の藤井選手とは年齢は離れているが、藤井選手への圧倒的な信頼感、そして地道な努力がレーシングスキルをどんどん引き上げている

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ジェントルマンドライバーになる意味


ジェントルマンドライバー。その活動には金銭的な負担、レースウィークの時間的な負担、そして日常的なワークアウトなど身体的な負担もある。しかしそれを目指すにはなにか理由があるはず。内田選手の場合はどのような理由だったのだろうか?

「理由は"夢"ですよね。バイクに乗っていた頃に一度は夢見たレースの世界。しかし大きな事故をしてバイクは卒業してそこからクルマ一辺倒でした。

より速く走りたいという思いはどこかにあって、家族ができても、仕事が変わっても、クルマがモチベーションだったのは間違いありません。クルマはリフレッシュできる空間、そして新たなビジネスを思いつく空間でもあります。

そんなクルマでサーキットを走ったら速かった。レースに出てS耐でチャンピオンなんてことは、2年前は想像もしていなかったことです。しかしとにかく速くなりたい、極めたいという思いが強かった。その夢を追いかけた結果だと思います」

内田選手は自社の社員にも「夢を諦めないでほしい」と常々伝えているそう。週末はしっかり休み、各々の趣味などに没頭してもらう方針。なかには趣味の絵画で念願の絵画の個展を開く社員もいたそうで、内田選手自身の夢を追いかける姿に共感してくれているそうだ。

2017シーズンもスーパー耐久日産自動車大学校スリーボンドGT-Rで、レースへの参戦が内定している内田選手。内田選手にとっては「連覇」という新たな夢もあるはずだ。今後の活躍にも期待したい。


自社製品を前にする内田選手。スマートフォンカバーが主力製品だ。日産、NISMOブランドはもとより、TRDや86などのクルマ好きが好むブランド展開を行っている。今後は新たな製品展開を計画中とのこと。

 

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