スーパー耐久へのステップアップが訪れる
ジェントルマンレースで表彰台の常連になってきた内田選手。そんななか、かねてから内田選手の走りの才能に惚れ込んでいた、藤井誠暢選手を擁するKONDOレーシングからスーパー耐久への誘いがあったという。
「スーパー耐久、しかもGT3マシンで戦うST-Xクラスへの参戦なんて夢みたいでした。しかもチームは近藤真彦監督が率いるKONDOレーシング。これ以上の悦びはないですよね」と内田選手は当時をふり返る。
オーディションも一発合格で、晴れてスーパー耐久24号車のドライバーになった。24号車はプロドライバー2人と共に3人で1台のクルマを乗り継ぐチーム体制。
内田選手の相棒となったのがスーパーGT(GT300)に参戦する藤井誠暢選手/平峰一貴選手だった。それがプレッシャーにもなったという。
「S耐はプロと走る耐久レースですから、自分のせいで壊したらとか、ラップタイムが遅かったらなど、走る1カ月前から常に不安が脳裏に浮かんでいました。ひとりで走っていたジェントルマンレースとは違うプレッシャーですよね」
そんな言葉とは裏腹にテストで内田選手は持ち前の速さを活かした走りを見せる。
「藤井選手から”速さに関しては心配要らないから安定した走り”をと言われていました。それで安心したところはあります」
そして初戦から優勝。その後もチームのプロ2人に負けないラップタイムを刻み続け、なんと年間6戦中全戦表彰台、4回優勝という快挙に貢献した。
最終戦オートポリスを残した、第5戦岡山でシリーズチャンピオンを決め、レース歴2年でなんとスーパー耐久の頂点に立ってしまった。
「自分のなかで”全力の一歩手前”という定義が変わったんですよ。初戦では安定感を求めると全力の80%くらいが限界だったのが、5戦目では95%くらいまで安定的に発揮できました。
乗っているときはプロと同じタイムで走っていたという意識はないのですが、結果としてはひとつ夢が叶ったなと思いました」
「最速のジェントルマン」/「計算できるジェントルマン」。内田選手をそう称する関係者も多い。2016年シーズンにスーパー耐久24号車を追いかけたベストカー編集部も、その称号は決して大げさではないと断言したい。
ジェントルマンドライバーになる意味
ジェントルマンドライバー。その活動には金銭的な負担、レースウィークの時間的な負担、そして日常的なワークアウトなど身体的な負担もある。しかしそれを目指すにはなにか理由があるはず。内田選手の場合はどのような理由だったのだろうか?
「理由は”夢”ですよね。バイクに乗っていた頃に一度は夢見たレースの世界。しかし大きな事故をしてバイクは卒業してそこからクルマ一辺倒でした。
より速く走りたいという思いはどこかにあって、家族ができても、仕事が変わっても、クルマがモチベーションだったのは間違いありません。クルマはリフレッシュできる空間、そして新たなビジネスを思いつく空間でもあります。
そんなクルマでサーキットを走ったら速かった。レースに出てS耐でチャンピオンなんてことは、2年前は想像もしていなかったことです。しかしとにかく速くなりたい、極めたいという思いが強かった。その夢を追いかけた結果だと思います」
内田選手は自社の社員にも「夢を諦めないでほしい」と常々伝えているそう。週末はしっかり休み、各々の趣味などに没頭してもらう方針。なかには趣味の絵画で念願の絵画の個展を開く社員もいたそうで、内田選手自身の夢を追いかける姿に共感してくれているそうだ。
2017シーズンもスーパー耐久日産自動車大学校スリーボンドGT-Rで、レースへの参戦が内定している内田選手。内田選手にとっては「連覇」という新たな夢もあるはずだ。今後の活躍にも期待したい。
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