■「ブランディング」と「宣伝」の違い
CMには製品そのものではなく、より高い次元のイメージを確立することで、企業のブランド力そのものを高めるという役割もある。
多くの人は「宣伝」と「ブランディング」を混同しており、実際の企業活動を見てもブランディングを望んでいるにもかかわらず単なる宣伝活動に終始し、逆効果になっているケースを目にする。似ているようだが両者はまったく異なる概念であり、一方的に宣伝しただけではブランディングは成功しない。ブランドを確立するには顧客自身がメーカーに対してブランド力を感じるよう誘導していく必要があるので、一方的な宣伝だけでは意味がないのだ。
自動車業界は日本というガラパゴス社会の中では突出してグローバルな存在であり、トヨタをはじめ各社はブランディングと商品の宣伝を使い分けるという欧米流のマーケティング手法を確立している。そして、自動者業界における一連のマーケティング手法は、オリンピックのようなスポーツイベントとの相性が極めて良い。
オリンピックという世界平和に貢献する巨大イベントを支援すれば、オリンピックが持つ力をうまく自社のイメージに取り込むことができる。悪く言えば「他人のふんどし」ということになるのだが、効果は絶大である。
近年、トヨタは「トヨタイズム」というキーワードを多用しているが、これも同じ文脈で理解してよいだろう。トヨタという企業に対するある程度の信頼感が存在しているからこそ、これを倍増させるようなマーケティング手法が成立するのだ。
トヨタがオリンピックというイベントをテコに、ブランディングを仕掛けようと考えていたのだとすると、オリンピックという存在は完璧に美しいものでなければ意味がない。ところが今回の東京オリンピックは正反対の状況になってしまった。
■マスマーケティングの終わりの始まり
トヨタはCM取りやめの理由として「色々なことが理解されない五輪になりつつある」と説明しており、100%の支持が得られない中でのオリンピックでは、当初の目的が果たされないと判断した可能性が高い。いざオリンピックが始まれば雰囲気は変わるという意見は以前から出ており、実際、開催後は国内の雰囲気が少し変わった。だが、トヨタのような企業にしてみれば、そうした次元の認識では済まないはずだ。
元来、オリンピックというのは、国民の絶対的な支持が得られるはずのものであり、そうであればこそ「オリンピックに貢献するトヨタ」というストーリーには大きな意味があった。仮に今回のオリンピック開催について7割の国民が支持したとしても、3割が支持していない状況というのはブランディングの世界にとっては致命的である。
当初、トヨタはオリンピック専用に制作したCMを大量に放映し、そこから自社サイトに誘導するような仕組みを構想していたと言われる。だが、一部の消費者であっても、イベントそのものに反対している状況では、オリンピックを利用して強引に企業イメージを構築しているとみなされ、逆効果になりかねない。
今回、競技会場でのアルコール提供が急遽中止になったが、これもスポンサーの影響が大きいと言われる。酒類の提供に対して反対意見が一定数ある中では、宣伝どころか企業イメージの低下につながりかねない。トヨタは開会式の参加も見送ったが、同じような判断が働いたと考えてよいだろう。
今回は、コロナ禍でのオリンピックという特殊要因が大きく影響したが、筆者は今回のトヨタの決断は、長い目で見た場合、自動車におけるマスマーケティングの終わりの始まりであると考えている。
これまで説明してきたように自動車というのは究極のマス商品であり、すべての消費者に対して同じタイミング、同一のコンテンツで訴求を試みるというのが王道であった。だが、テスラのようにいわゆる広告宣伝費を1円も使わなかったり、新車販売の多くをオンライン化するボルボ・カー・ジャパンのような事例が出てきている。
スポーツビジネスの世界も、テニス女子の大坂なおみ選手のように、うつを告白するなど、弱みも含めて自己をさらけ出す選手が現われている。
つまり社会はより多様化な価値観に向かって動き出したということであり、その視点で考えると、画一的に企業イメージを向上させる大規模なスポーツイベントへの資金提供や大量のテレビCMは、従来ほど機能しなくなる。10年後の自動車メーカーのCMは今とはまったく様変わりしている可能性が高い。
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