故・豊田章一郎氏「お別れの会」実施、遺族代表として章男氏挨拶「障子を上げてみよう、外は広いぞ」

■「時間を忘れて熱中する瞬間が楽しい」

(「お別れの会」親族代表豊田章男氏挨拶全文引用ここから)

 豊田章男でございます。遺族を代表いたしまして、ご挨拶を申し上げます。

 本日は、父、章一郎のお別れの会を開催いただき、ありがとうございます。また、多くの方にご参列いただき、誠にありがたく、恐縮の至りでございます。

 父は生前、「トヨタグループに支えられ、鍛えられて、発展してきたのがトヨタ自動車だ」と申しておりました。父にとっては、グループそのものがトヨタでしたので、 17社合同でこうした場を設けていただいたことを、何よりも喜んでいると思います。

 お別れの会、副委員長の皆様をはじめ、準備から本日まで運営にご尽力いただきました。皆様には大変お世話になり、厚く御礼申し上げます。ただいいま、弊社内山田代表取締役により、お心のこもった弔辞を賜りました。心より感謝申し上げます。

 父はいつも仕事で忙しく動き回っておりましたが、家族との時間は大切にしてくれました。最期も「博子に一緒にいてほしい」、その言葉通り、母が看取り、苦しまずに逝きました。

 父が亡くなった2月14日は、偶然にも尊敬する(トヨタグループ創始者)豊田佐吉の誕生日でした。佐吉には8人の孫がいて、みんな仲が良く、「いとこ会」と称してよく集まっておりました。

 父がこの世に残された最後の1人でしたので、これからはみんなでその続きを楽しむのではないかと思います。

 父も、2人の子供、5人の孫、9人のひ孫に恵まれ、ひとりひとりに愛情を注いでくれました。みんなが仲良くいることが、父の一番の望みだと思っております。

 父は、27歳で父親の喜一郎を亡くし、取締役としてトヨタに入社いたしました。つねに責任者としての重責を果たしながら、「障子を上げてみよう、外は広いぞ」という佐吉の言葉通り、まさに障子を上げて、日本のトヨタから世界のトヨタへ、その礎を築いたと思います。

 父は、人を信頼し、人の輪を大切にする人でした。

 その自伝を読みましても、国内産官学、多くの方のお名前が出てまいります。いつもこう申しておりました。

「何事も、ひとりでやろうとしてはいけない、みんなでやるようにしなければならない。」

 そんな父だからこそ、多くの人が集まり、支えてくださったのだと思います。
そして、何よりも、喜一郎の夢と、志と、心を実践し続けた人でした。

 父は、「日本を豊かな国にしたい」という喜一郎の想いを受け継ぎ、さらに発展させ、世界の人々が平和で豊かに暮らせる社会にしたいという思いを強く持っておりました。

 その根底にあったのは、「現地現物」、「品質は工程で作り込む」、「価格は市場で決まる」、「絶えざるイノベーションへの挑戦」、そして すべてを支える「人材の育成」という経営理念です。

 忘れられない父の言葉があります。

「新しいものを作るために知恵を絞り、汗をかき、時間を忘れて熱中する、その瞬間が極めて楽しい、 苦心した末にものが出来上がった時、それを誰かが使って喜んだり、助かったりした時、 この上ない喜びと感動に包まれる。だから、もっと勉強し、働いて、もっと良いものを作ろうと思う。」

 この言葉を胸に、トヨタは、グループ全員でもっと勉強し、働いて、もっと良いものを追求する。トヨタのものづくりと、人づくりを継承していくことを誓います。

 最後に、これまで公私にわたり、父をお支えくださった皆様に、心より感謝申し上げます。

 本当にありがとうございました。

(「お別れの会」親族代表豊田章男氏挨拶全文引用ここまで)

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