■文明と長寿を支えてきた化石燃料
原理原則としては、化石燃料がCO2の増加を招いていることは疑う余地がない。石炭や石油は3億6000万年前から2億8600万年前、石炭期と呼ばれる「植物と植物性プランクトンの大繁殖時代」に、当時の大気からCO2を吸収したそれらがCO2を抱えたまま地底で泥炭化したもの。今よりはるかにCO2濃度が高かった当時の大気から大量のCO2を植物が吸収して地中に隔離した結果、現在の大気組成ができている。なので、これを掘り出せばどんどん石炭期以前の大気成分に戻ってしまう。
一方で、産業革命とはエネルギー革命であり、人類が化石燃料の利用によって、快適で健康的な生活を手に入れたもの。なので、化石燃料の利用をやめれば、それらが失われることは当然の話である。最初に確認しなくてはならないのは、「その痛みをどの程度支払うつもりがあるのか」という点だ。
つまり「できるかどうか」は、「払う犠牲の程度」による。
化石燃料の採掘をしない世界はどうなるのか? エネルギーと同時に考えるべきは石油由来の樹脂の問題である。植物由来のバイオマスプラスチックが残るが、現在の石油由来の樹脂の全量を置き換えるのは簡単ではない。
樹脂がないとどうなるか。パソコンやスマホは樹脂なしでは成立しないし、通信に必要なケーブルの被膜も樹脂である。まずデジタルガジェットとそれを使うインフラは大幅な影響を受けるだろう。
もっと深刻なのは医療の世界だ。注射器も点滴のパックやチューブも医薬品のパックも全部アウト。ガラスや金属などに戻すならば、例えば注射器は使い捨てではなくなって、加熱滅菌作業が必要になる。加熱に要するエネルギーは不本意にもCO2を増大させるだろうし、再利用のための滅菌など現場で発生する仕事量は、当然医療のキャパシティを大いに損なう。
食品のパッケージなどもそうだが、使い捨ての樹脂は現代の衛生環境に大きく寄与している。医療や食品ジャンルで樹脂が使えなくなると、衛生水準は大幅に後退する。ついでに言えば、クルマも樹脂部品なしで成立するかどうか。
■「健康のためなら死んでも良い」にならないために
エネルギーの面で言えば、航空機は極めて深刻である。エネルギー密度的にバッテリーで大型旅客機を飛ばすことは不可能だからだ。合成航空燃料が安価かつ大量に作れるようになれば話は変わってくるかもしれないが、価格面でも供給量の面でもまだ課題が多い。拙速に進めれば燃料不足によって移動は制限され、コストは跳ね上がるだろう。
世界のありとあらゆる所で、こうした問題は発生し、その結果、我々は産業革命以降に培ってきた文明のかなりを失う。
ただ「不便になる」ということではない。人が死ぬ。産業革命以前、つまり石炭や石油を使う社会を迎える以前の江戸時代の日本の平均寿命は35〜40歳。医療が未発達なため乳幼児の死亡率が高まって平均を引き下げるからだが、それと同じとまでは言わなくとも、まあ少なくとも今の寿命の長さはなくなる。
つまりこれまで石油や石炭に依存してきたエネルギーと樹脂をカーボンニュートラル化技術で置き換える準備ができたかどうかが、化石燃料の削減の議論の本丸なのだ。
「技術はやがて進歩するのだから、即決して化石燃料を禁止しよう」という強引な話は多いが、準備を疎かにして実行すれば、すでに述べたように、人命レベルの代償が求められる。
本来気候変動問題は、人類の存続のためだったはずということから振り返ると、いつのまにやら「健康のためなら死んでも良い」という話にすり替わっているように思える。
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