■名語録7、8/スズキの不屈のチャレンジ精神が端的に表れている
「チャレンジするときは目標を高く」
「ビリだからチャレンジできた」
この2つの名言は、スズキの不屈のチャレンジ精神を端的に表現した名言だ。制約の多いなかで、最高の作品を生み出す心意気を述べている。
また、ビリなら下に落ちないから、今やっていることを、全部ひっくり返すことも難しくない。肩の力を抜き、柔軟な姿勢でクルマづくりに取り組むことができる。
鈴木修さんが社長になった時、スズキは日本の自動車メーカー12社中12位だった。頑張ったところで1位になれそうもないと考え、日本の自動車メーカーとして初めてインドに進出し合弁会社を設立、シェア1位を獲得したのは見事だった。
とはいえ、「49の失敗と、51の成功。つまり51勝49敗」とコメントをしている通り、順風満帆だったわけではない。最大の失敗は専務だった1975年、自動車排出ガス規制に対応できなかったことだという。倒産かと思われたがトヨタから排ガス規制に適合したエンジンの供給を受け、危機を乗り越えている。
■名語録9、10/右肩上がりのスズキを戒める名言
「30年間右肩上がりで社内に安泰ムードを招いてしまった」
スズキは、昭和の時代から平成の時代にかけて、生産と販売を伸ばし続けてきた。世界的な自動車メーカーに成長したが、鈴木修さんは「スズキは中小企業だ」という考えを持ち続け、自ら「俺は中小企業の親父」とコメントしている。
規模は大きくなっても会社の中身は中小企業のままで、まだ他のメーカーに見劣りする、と油断しないように、勝って兜の緒を締めよ、というところが鈴木修さんらしい。
「他のせいにせず、足元から節約を考えろ。1円刻みでものは考えなければならない。1円ですよ、勝負は」
鈴木修さんはコスト意識が驚くほど高かった。だからスズキの本社の隣に工場があるし、本社も大都市ではなく静岡県浜松市高塚町にある。創業以来、本社と工場は浜松から移転することは、今後もないだろう。
1993年から始まったスローガン「小さく、少なく、軽く」は、1998年には生産現場の無駄を省いた効率的で高品質なものづくりの基本方針として「小・少・軽・短・美」となった。この5文字には、小さく、少なく、軽く、短く、美しいモノづくりを目指すという想いが込められ、あらゆる場面で仕事をするうえで目指すべき合言葉として、スズキの製品作りに表れているが、その始まりが初代アルトだった。
目の行き届くところに工場を置き、社員の技術レベルとコスト意識を高めようと努めた。1円、1グラムにまでこだわり、原価を下げることに並々ならぬ意欲を燃やしている。
しかも今はコスト低減に努めながら商品そのものも驚くほど完成度が高い。これは鈴木修さんが細かいことにも目を光らせていたからだ。
【画像ギャラリー】「俺は中小企業の親父」鈴木修さんとともに歩んできたスズキの名車たち(13枚)画像ギャラリー■名語録11/安くするため軽くする=燃費もよくなる、これがスズキのクルマ作りの原点
「安くするために軽くするという考え方は、スズキのクルマ作りの原点です。車体が1割軽くなると、コストも1割安くなる。そして、車体が軽くなった分、燃費もよくなる。これはいまでも生きています」
スズキのクルマを見て驚かされるのは、軽量化技術がライバルとケタ違いにすごいことである。最近はどのメーカーも軽量化に力を入れているが、スズキのクルマは高い安全性を確保しながら驚異的に軽いこと。これは簡単そうに見えて難しい。鈴木修さんが口を酸っぱくして言い続けているからだろう。
軽自動車も登録車も驚くほど軽量設計だ。基本が軽ければ、安全装備などを加えても走りはいいし、燃費だってよくなる。
スズキが軽量化にこだわる姿勢を改めて打ち出したのは、スズキが2024年7月に開催した「技術戦略説明会」だった。その説明会において、スズキは現行の9代目アルトに対し、次期型(10代目)は100㎏軽量化するという目標値を発表したのだ。どのようなモデルが出るのか、期待して待ちたい。
【画像ギャラリー】「俺は中小企業の親父」鈴木修さんとともに歩んできたスズキの名車たち(13枚)画像ギャラリー
コメント
コメントの使い方修語録集、持ってます。若い頃は過激な人だなぁ、上司だったらやっかいだなぁと思ってましたが、経営する立場になってくると、重くて正しくて、逃げられない格言集なんです
最期の金言「e VITARAの価格は100万円台を達成したい」、期待してます!