「花の冠」を意味するカローラは現行11代目まで作られ、日本を代表する国民車として2016年、50周年を迎えた。
カローラ50年の歴史のなかには知られざる多彩な知恵・工夫が凝縮されている。そんな「へぇ〜」と思える話のなかから10のエピソードを、通称“カローラ先生”と呼ばれる小林敦志氏に教えてもらった。
文:小林敦志
ベストカー2016年12月26日号
1.初代カローラの計器盤はふたつあった
扇型やバー式の速度計をメインとした計器盤が主流だった1966年当時、丸型2連メーターを採用したのが初代カローラ。
デビュー当初は計器盤がダッシュボードから飛び出た雰囲気だったが、後期で一体タイプに変更。
’68年に対米輸出を開始したり、カローラ・スプリンターを発売したタイミングで変更したようだ。速度計の位置も右側から左側に変更されている。
2.レザートップをまとった2代目
2代目クーペにはレザートップが設定された。これは天井部やA/Cピラーの表面に合皮を張った仕様のこと。
幌馬車時代の名残りとされ、アメリカで広くもてはやされた。
高級車の証として1970年頃にはクラウンなどほかの日本車でも設定はあったが、カローラクラスでの設定は珍しい。対米輸出を強く意識した証だろう。
3.スプリンターは2代目でカローラから独立
カローラ・スプリンターは流麗なクーペスタイルを採用するカローラの派生モデルとして1968年にデビュー。
カローラの派生ながらカローラ店ではなく“オート店(現ネッツ店)”を新設し扱われた。
カローラの2代目登場と同時にモデルチェンジを実施し、ここで“スプリンター”として独立。当初は2ドアクーペのみ。
4.3代目デビュー当初は2代目が併売された
日本では新旧併売は珍しく、最近では3代目プリウスデビュー時に2代目併売がある。
1974年デビューの3代目は、デビュー当初は2代目が“廉価モデル”として併売された。海外市場を本格意識した結果、安全装備の充実などで価格上昇が顕著になったためのようである。
そんな3代目には「30(さんまる)」という愛称が付いた。
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