■勝っても負けても「挑戦」するクルマは魅力的なのだ!
(TEXT/編集部)
前のページで清水さんが挙げてくれたように、挑戦の結果は残念ながら討ち死に……ということもある。いや、成功するよりも失敗に終わるクルマが多いかもしれない。
でも、無難なクルマ作りをしてなんとなくモデルライフを終えて忘れ去られてしまうクルマたちよりも、失敗なら失敗で鮮烈な印象を刻みつけて散っていったクルマのほうが記憶に残るものだ。
初代インサイトは挑戦むなしく敗れ去ったかのように思われがちだが、それはプリウスに対する販売面での話で、技術的にはホンダがあの当時持っていた低燃費化技術をおしげもなく徹底的に投入して開発した究極の燃費スペシャル市販車だった。
なにしろわざわざ専用開発した低フリクション高効率3気筒エンジンにモーターを組み合わせ、アイドリングストップや回生システムを装着。アルミボディ、アルミボディパネルを多用した車体は5MT仕様で820kgと超軽量。
リアタイヤを覆うスパッツまで付けてCd値は0.25を達成。当時のJC08モードで燃費値は35.0km/L(デビュー当時。その後35.0km/L)で先に登場していたプリウスを凌いでいた。
一時期この初代インサイトを所有していた鈴木直也氏は「まるで試作車のような作り方。製造工程もかなりの部分が手作業だったのではなかろうか。凝りに凝ったマニアックな設計が心くすぐるんだよね。
でも、このインサイトで細心の注意をして走らせても実燃費40km/Lいくかいかないか。これを最新のヤリスハイブリッドは普通に走って超えちゃうのだから、技術の進歩は恐ろしい。でも、こうした各メーカーの積み重ねがあればこその技術進歩なのだから、意義は大きい」と評価する。
2000年前後にトヨタが「セダンイノベーション」をテーマに掲げて新たな車型のクルマ作りを模索していた時期があった。
2000年5月に登場したオーパはワゴンとも5ドアハッチともとれるボディ形状を採用し、後席をロングスライドさせることで室内空間に自由度を持たせた進化形セダンの提案モデル。
その一環だったのが前項で清水さんが挙げていた背の高いセダン、1998年登場の5代目ビスタだったのだ。
オーパと競合するトヨタ車として存在したナディア(1998年登場)もセダンイノベーションの一環。
2列シートのミニバン風デザインの5人乗りで、後席はロングスライドしてセンチュリーより広い足元空間を実現したのがウリのポイントだった。
これらの挑戦はその後の車種開発のカテとなり現在に繫がっているのだ。
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