「カッコいいクルマに乗っていれば女子にモテる」という伝説があった。現代ではとても信じられないこの話も、1980年代中盤から1990年代後半頃には、若者たちの間で強い真実味とある種の切実さをもって語られていた。もしかしたら「クルマさえあればモテるのに」と信じることで、もっと大事な何かを守っていたのかもしれない。
というわけで(というわけで?)、実際にモテていたかどうかはさておき(さておき??)、日本自動車史のある期間、「デートカー」と呼ばれるクルマがブームとなった時期があった。本稿では「デートカーってどんなクルマだったのか」を、当時の背景を交えて「あの頃」を知る自動車ジャーナリストに語っていただいた。
文/諸星陽一 写真/ホンダ、日産、Adobe Stock
【画像ギャラリー】このクルマに乗っていれば…モテた?? 1980年代後半を代表するデートカー2台の艶姿
■「クルマ離れ」は「クルマを持たない理由作り」のための言葉?
なんだかんだ言ってもデートするのにクルマがあったほうがいいのは事実だ。
クルマが“ある”のと“ない”のではデートの質が変わってくる。周囲に人があふれているなかで愛を語るよりは、ふたりきりのときに語ったほうがいいし、暑い夏の日に汗だくで日なたを歩くよりエアコンの効いた車内にいたほうがいい、雪の降る日に足元をグチャグチャにして歩くより暖房の効いた車内にいたほうがどれだけありがたいか……。
最近は「若者のクルマ離れ」という言葉が流布され、クルマを持たない若者が増えた……というけど、じつは「クルマが嫌い」という若者も少なければ、「(クルマに)乗りたくない」という若者も、少ない。
「若者のクルマ離れ」という言葉は、クルマ業界以外の人達がクルマ以外(要するに自分達が儲かる方向に)にお金を使ってほしいがために作った言葉だと私は信じている。その言葉に操られてしまった人が、クルマを持たない理由作りに利用しているに過ぎない。
さて、本題である。トラックからスポーツカーまで、いろいろな用途のクルマがある。そうしたなか、かつてはデートにベストマッチするクルマとして大きく支持されたクルマが存在した。話はバブル初期のことである。
とにかく世の中は景気がよかった。毎夜のごとく、どこかでパーティが開かれ、みんながステップを踏みながら歩道を歩いていた。
終電後まで遊んでタクシーで帰ろうとしてもタクシーを拾うのは至難のワザ。ヒールを履いて踊り疲れた女の子はもう一歩だって歩くのはイヤだ。そんなときにクルマで来ていた男の子はヒーローだった。
でもクルマなら何でもいいということはなかった。
女の子はやっぱりかっこいいクルマで迎えに来て欲しかったし、そうしたクルマの助手席に乗って、タクシー待ちで帰れない友達に手を振って去って行く姿にあこがれたのだ。
■3代目プレリュードの登場
1987年、ホンダがプレリュードをモデルチェンジして3代目に進化させた。
最大のウリはステアリング操作に連動して後輪もステアする「4WS」の採用だった。テレビCMでは映画“地下室のメロディー”のテーマをBGMに前後輪がステアする姿が映しだされ視聴者に大きなインパクトを与えた。
ワイド&ローのスタイリッシュな2ドアスタイルは若者を魅了し、プレリュードを所有したい、プレリュードの助手席に乗りたい……という波が広がっていった。
3代目プレリュードに搭載されたエンジンは2LのDOHCもしくはSOHCの4気筒(のちに特別仕様車として追加したSiステイツは2.1L、DOHC4気筒)という設定。駆動方式はFFで、ミッションは5速MTもしくは4速ATが採用された。
(1982~87年に販売していた)2代目プレリュードではフロントにダブルウィッシュボーン、リヤにストラットという4輪独立懸架だったが、3代目はリヤサスペンションもダブルウィッシュボーンとして4輪ダブルウィッシュボーン方式とした。
この時代はまだまだダブルウィッシュボーンが高価でスポーティなサスペンション形式であったこともあり「レーシングカーと同じダブルウィッシュボーン」という表現が多く使われた。リヤがダブルウィッシュボーンとなったのはリヤにステアリング機構を持たせた際にサスペンション剛性が確保できることなどが大きな理由とみるのが妥当。
4WSは当時、大ブームとなり多くのメーカーが採用に踏み切る。
プレリュードのようにステアリング操作に連動する積極的4WS、クルマの動きに呼応する受動的4WSの違いはあるが、当時はまだ乗用車の製造を行ってたいすゞを含め乗用車メーカーで4WSを搭載しなかったのはスズキだけとなっている。
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■大ヒットした5代目シルビア
快進撃を続けたプレリュードの販売にブレーキをかけたのは、日産から登場した1988年に登場した5代目シルビアだ。
初代シルビアはダットサン・フェアレディをベースとした日本初のスペシャリティカーであった。その後、モデルチェンジを繰り返し5代目に至る。
「アートフォース・シルビア」のキャッチコピーで販売されたこのシルビアが若者に受け入れられた最大の理由は、流麗なスタイリングにあったといっても過言ではない。
ライバルであるプレリュードが直線基調でデザインされていたのに対し、シルビアは曲線と曲面を上手に組み合わせた未来的なデザインで、街中で人目を引くことになる。
クルマの色といえば、白、赤、黒といったものが主流だった時代にライムグリーンのボディカラーをイメージに採用。そしてそのライムグリーンのモデルが多数売れるという現象も起きた。
シルビアはデートカーとしての要素をしっかりと持ったクルマで、日産もそれを大きく意識してスッキリとした滑らかな面を持つインパネを採用するなど、女性にも受け入れやすいデザインを多く採用していた。またグレード名についても最上級がK’s(ケーズ)、続いてQ’s(キューズ)、J’s(ジェイズ)とトランプのカードに由来するネーミングにするなど、凝った演出が施された。
一方で、じつは中身はけっこう無骨でスポーツマインドにあふれたモデルであった。すでにAE86レビン&トレノの販売は終了し、手軽なFRモデルがなかった市場にFF化することなく新型としてFR2ドアクーペが登場したことで、走り好きのファン達がシルビアに飛びついたのだ。
K’sはターボエンジン、Q’sとJ’sはNAエンジンを搭載するモデルで、初期型はCA18系の1.8L直列4気筒、後期型はSR20系の2リットル直列4気筒を搭載した。後期型K’sは300万円に迫る価格帯だったが、バブル期ということもあって高いというイメージは持たれなかった。
■「デートカー」という要素、「FRクーペ」という要素
シルビアが大ヒットしたのは、デートカーとしての要素とFRクーペとしての要素の2面性があったからにほかならない。その両方の要素を求めて買ったユーザーもいれば、どちらか片方だけの要素で買い求めたユーザーもいただろう。どちらにもアピールできる多様性があるクルマだったからこそ、大ヒットに繋がったのには間違いはない。
さて、現代に話を戻そう。
今も昔も助手席に乗りたいお嬢さんはたくさん存在しているはずだ。コロナ禍の今、誰が乗ったかわからない「わ」ナンバーのカーシェアの助手席に乗ってもらうのか? 自分しかステアリングを握らず予約席としてリザーブしておいた助手席に乗ってもらうのか? どちらがいいのだろう。
そして、お嬢さんはどちらに乗りたいのか? こうしたことを考えれば、クルマを所有することのよさが少しはわかるのではないだろうか。