安さを売りにするも日本車の敵ではなかった
ポンティアックグランダム(4代目)
日本での販売期間:1991〜1996年
全長4785×全幅1740×全高1375mm
直4気筒DOHC 2392cc 152ps/ 20.7kgm
価格:230万円(SEセダン)
グランダムは1990年代中盤のマークⅡ三兄弟やディアマンテのようなボディサイズを持ち、250万円から300万円の価格でエンジンは2.4L、4気筒と3.1L、V6を積み、排気量を考慮してアメ車=外車として見れば一見安いというクルマである。
しかしクルマ自体はエンジンの振動が大きい、ハンドリングが不自然、クオリティはライバルとして想像するマークⅡ三兄弟やディアマンテに到底及ばないなど、ボディは大きくても実質的な車格はカローラやサニー相当だった。
グランダムも「この金額出すならば日本車のほうがずっといい」という結論になるのは順当で、こちらも失敗に終わった。
欧州生産車でもあまりに地味すぎ
フォードモンデオセダン(初代)
日本での販売期間:1994〜2001年
全長4490×全幅1750×全高1435mm
直列4気筒DOHC 1795cc 115ps/ 15.5kgm
価格:172万8000円(L)
モンデオはヨーロッパフォードが生産、開発を行った日本車だとエンジン排気量ではコロナやブルーバードに相当するモデルだが、ボディサイズはもっと大きかった。
日本では1994年から初代モデルがセダンとステーションワゴンのバリエーションで販売が始まった。
初代モンデオは当時フォードが日本で力を入れ始めたのに加え、この頃日本で価格破壊という言葉がよく聞かれたほどのデフレが始まったのに呼応し、価格は約200万円からと日本車並みだった。
モンデオは動力性能こそ平均的だが、ヨーロッパ製らしいシッカリした走りを備えており、純粋なアメ車とは違ったキャラクターを持っていた。
ならば売れたかというと当初はディーラーがそれなりにあったのもありなかなか売れたのだが、長期的には成功しなかった。
成功しなかった理由としては、モンデオはキャラクターはあったもののヨーロッパ車としては薄く、外車に触れたいならもう少し払ってでもゴルフやプジョー306などに流れるユーザーが少なくなかった。
日本車にも日産プリメーラのようなヨーロッパ的なクルマもあり、ならば何度も書いた「日本車のほうが安心」というユーザー心理が挙げられる。
トヨタの販売力をもってしてもお手上げ
トヨタキャバリエ
日本での販売期間:1996〜2000年
全長4600×全幅1740×全高1355mm
直4気筒DOHC 2392cc 150ps/ 21.4kgm
価格:149万9000円(2.4S)
キャバリエはかつてGMとの合弁工場をアメリカに持っていたトヨタが当時の日米貿易摩擦緩和のため、GMからのOEM供給の形で1996年に年間2万台の販売目標を掲げたモデルである。
ボディタイプはセダンと2ドアクーペで、車格は日本車ならコロナやブルーバードに相当した。トヨタが販売するだけに右ハンドル化に加えウィンカーとワイパーレバーは日本車と同じ配置に変更し、価格は2.4Lエンジンを搭載しながら同クラスの日本車並みの約180万円からと安く設定し、CMには所ジョージさんを起用するなど、万全の体制が敷かれた。
しかし、結果は大失敗に終わった。敗因としてはアメ車らしいトルクフルな走りではあったものの、ネオンほどではないにせよ日本車のような高いクオリティは備えておらず、「日本車並みの価格なら日本車を買ったほうがいいし安心」ということに尽きる。
キャバリエはモデル末期には価格を約150万円スタートまで値下げしり、キャバリエ購入資金100万円プレゼントなども展開したがそれでも状況は好転せず、「トヨタがあれだけちゃんとやってもダメだった」ということだけが強く印象に残った。
キャバリエは笛吹けどまったく踊らず、苦肉の策でセダンを白黒パトカー、覆面パトカーとして大量納入した。
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