■BNR32開発主管、伊藤修令氏が語る開発秘話
●16年ぶりに復活したGT-Rのバッジにまつわる秘話
私は櫻井さんが入院したことによって途中からR31スカイラインの開発主管になったわけですが、4ドアの発売を控えた1985年6月に2ドアのフルサイズモデルが出来たんです。その時、グリル中央とテール部分にGT-Rのバッジが付いていました。
R31の4ドアがデビューした時、マスコミのみなさんから「エンジンもデザインもダメ」などと、こてんぱんに言われましてね。2ドアも重いし、大きいし、ほかのクルマとどこが違うのか? ちょっといいくらいではダメだと思いました。
それでクルマの実力とGT-Rのネーミングの重さを考えてR31の2ドアクーペからGT-Rバッジを外じGTSという名称に変更しました。でもこの時からGT-Rは次期型(R32)で復活させるぞと心に決めていました。
翌1986年初めにはGT-Rの開発構想を考えていましたが1986年上半期には会社が創業以来の赤字になったこともあって、なかなか言い出せませんでした。そしてR32の商品化を決定しなきゃいけない1986年7月に初めてR32GT-Rの開発計画を役員に告げて決まったわけです。
その時もまだGT-Rという呼称ではなく、GT-X。こうして紆余曲折の後、1989年2月に全国のディーラーを呼んで見せたのですがその時の資料でもGT-X、馬力は270ps以上にしていました(笑)。こっそり展示した実車にはGT-Rのエンブレムを付けてはいましたが……。
●R32GT-RはATも作るつもりだった
これからの時代、高性能車にもATが必要だと考えていたので開発当初はAT搭載も考えていました。RB26DETT型2.6L、直6ターボの出力は300ps/35kgmを目指した段階でMT、ATともに一段上のものに変更しました。
でも開発には相当多くの時間と工数がかかるため、開発はMTに集中させ、ATの開発はほとんどしませんでしたね。ポルシェのティプトロニックみたいなATをやりたかったんですよ。
■BCNR33/BNR34商品主管、渡辺衝三氏
●R33ではトランク容量の確保がテーマのひとつ。でもバッテリーをトランクに設置
もともと8代目のR32ではスカイラインの特徴を思い切り表現しよう、そして低下した走りのイメージを取り戻そうと企画したんですね。そしてR33以降では居住性といったセダンに要求される部分を充実させていこうという計画だったんです。
特にR33ではR32で指摘されていたトランク容量の確保が重要なテーマだったんです。しかし、R32で受けた曲がらないという評価を少しでもよくしたかった。そこで、重量配分の改善のためにバッテリーをトランクに設置したわけです。走りのよさを貫かなければなりません。だからあえて意欲的なチャレンジをしたんです。
●R33GT-Rでは北米輸出仕様も検討し断念
ご存知のとおり、R33GT-Rは英国に100台輸出しました。実は、英国のBBC放送のトップギアという番組でGT-Rが紹介され話題になりました。そして欧州国産から強い販売要請があり、これに答えたのです。
その後、当時の塙社長から、北米輸出も検討せよとのオーダーを受けたんです。ただし北米は左ハンドルでなければなりません。ハンドルを左に持ってくると、GT-Rはツインターボですから、ステアリングシャフト後ろ側のターボに近くなり、熱的な問題があったんですね。
それでシングルターボにするかという案もあったんですが、それでは、GT-Rではないだろうということでこれは断念しました。
●R34ではV6搭載車も検討
R34の開発をしている時に、日産の先行開発グループが、新型V6を搭載したFRの試作車を作ったんです。しかも、フロントミドシツプでした。これをテストコースで乗ってみたところ回頭性がよくて実に具合がいいんですよ。
それで、真剣にV6搭載を考えました。しかしFR車だけならR34としてこの新型V6の搭載も可能だったんですが、GT-Rの4WD車まで含めるとなると、相当な開発期間が必要だったんですね。とてもR34GT-Rでは間に合わないレベルでした。
GT-R抜きでR34スカイラインは考えられませんでしたから、かなり悩みましたね。結果的に直6のGT-Rを磨き込む決心をしたのです。V6は次の世代に任せるという決断です。(編集部註:2001年6月発売のV6、フロントミドシップレイアウトのV35スカイラインにつながっていく)
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