6月21~22日に決勝が行われたニュルブルクリンク24時間レースでモリゾウさんがドライブしたGRヤリスDATが見事完走! そしてクラス優勝を果たして見せた。「モータースポーツを起点としたもっといいクルマづくり」の活動にまたひとつ大きな歴史を刻んだ
文:ベストカーWeb編集部/写真:三橋仁明 ・ N-RAK PHOTO AGENCY、ベストカーWeb編集部
【画像ギャラリー】石浦が! 大嶋が! そして親子とチームで繫いだニュル24時間のバトン!! GRヤリスDATがつくるクルマのキズナ(6枚)画像ギャラリー豊田章男会長が予想を超えた激走でチームを鼓舞する!
豊田章男会長が乗るGRヤリスDAT(109号車)は豊田大輔、石浦宏明、大嶋和也の4人がドライブ。21日土曜日16時のスタートから約1時間半後にピットの停電が起こり2時間余りの赤旗中断があったものの、危惧された雨や霧に見舞われることなく、快晴のもとレースが進行していく。
20時過ぎに大嶋和也選手からステアリングを託された豊田章男会長は、西日がきつい中、慎重な入りでペースをつかんでいく。
1周25.378㎞、高低差300m以上、コーナー数170以上という世界一過酷なサーキットでのドライビングは想像以上に体力や集中力が必要だ。7回目という豊田章男会長といえども、「怖い」という気持ちが100%ないかといえば噓になる。
特にポルシェほかGT3車両とGRヤリスDATは100㎞/h以上の速度差があり、「ものすごい速さで後ろから迫ってくる」というから、いかに集中力を保ち、安全に抜かせるかも技術となる。
当初3周の予定だったが6周を周回、時間にして1時間ほどのドライブを振り返って「西日がきつく、慎重に走りましたが、走っているうちにリズムがよくなり、もっと走りたいとオーダーしました。もう2周走りたかったけれど、楽しめました」とほっとした様子。
気を抜けば魔物に足をすくわれてしまうニュルブルクリンクから無事生還できたことで、表情は明るい。ちなみにもう2周走って8周とすれば、ほかの3人のライバーと同じ周回数となるからだ。負けず嫌いいうわけではなく、24時間走り切るための戦略が立てやすくなるためで「自分以外の誰かのために!」という実践だ。
こんな走りをされたんじゃ、ほかのドライバーもエンジニアやメカニックも奮い立たないわけがない。「絶対完走しよう!」とチームは盛り上がりを見せていった。
初挑戦のGRヤリスDATが完走を果たし見事クラス優勝
日付が変わって日曜日も抜けるような青空が広がった。10時過ぎに豊田大輔選手に替わってドライバーを務めた豊田章男会長は5周の目標だったが、もう1周、もう1周と周回を重ねて9周を走り切り通算15周に到達した。
シートを降りた豊田章男会長は「停電のため規定はなくなったが(最低周回数の)15周を走りたかった。乗りやすく、思ったよりも疲れなかった。DATでなかったら15周も走れなかったと思う。乗っていて楽しくモータースポーツを始めたいが、敷居が高いと思っている人に楽しさを伝えられるといいと思います」とクルマをほめた。
それにしても69歳とは思えない卓越した運転技術と強靭な体力だ!
15周は7度目となるニュルブルク24時間レースの挑戦の中でも自己ベストになる。その甲斐もあって結局GRヤリスDATは113周を走り、総合52位で完走! 同時にSP2Tクラスのクラス優勝を飾った。
GRヤリスDATはサスペンションやブレーキこそレース用のものを使うが、エンジンやミッションなどパワートレーンは市販車と変わらない。ポルシェならわかるが、500万円そこそこのハッチバックが、市販のままで完走できるなんて信じられない! ニュルブルクリンク24時間レースの目の肥えたファンたちはそう思ったに違いない。
ちなみに今回ニュルブルク24時間レースに訪れた観衆はなんと28万人。これは53回を数えるニュルブルク24時間レースの最高記録だという。
「原点に立ち返って新しい仲間との再スタート」を掲げた今回のニュルブルクリンク24時間レースは、GRヤリスDATが完走し、豊田章男会長が15周を走り切ったこととで、最高の結果をつかむことができた。
2007年初めて成瀬弘さんと初めてニュルブルクリンク24時間レースに挑戦して今回が19年目。「ニュルの次の20年に向かって無事にスタートが切れたと思います」と控えめに豊田章男会長は答えたが、成瀬弘さんが2010年に不慮の事故で亡くなったあと、独りぼっちになりながらも、仲間と一緒にニュルブルクリンク24時間レース活動を続けてきたことを思えば、感慨もひとしおだったに違いない。
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