■ワルター・ロールの駆るオペル アスコナが目前に!!
同じ1982年のサンレモを走るロスマンズカラーのオペルアスコナ400は、2度WRCチャンピオンを獲得した名ドライバーのワルター・ロールがドライブしていた。
ロールはFRのアスコナ400、ミッドシップのランチアラリー、4WDのアウディクワトロを走らせ、3年連続でモンテカルロラリーに優勝したドライバー。つまりその最初の優勝に立ち会ったことになる。
このカットは直角コーナーのイン側から撮ったもので、あまりにインに入ってきたもので後ろにのけぞってしまい、観客にささえてもらったことを今でも覚えている。
最近のWRCでは、観客やメディアに対する規制も厳しくなっている。このようなポジションで撮影するのは迫力があるが、当然リスクも大きいので規制されるのは仕方ないだろう。
■今なら炎上必至!? マクレーのインプに挑む即席マタドール
最後は12年後の1994年のサンレモラリー。コーナーを立ち上がるコリン・マクレーのインプレッサの行く手をさえぎるように観客が立っている。まるで闘牛でもやっているかのようなしぐさだ。
これもサンレモ、コルス、カタルニア、ポルトガルとどこでも見れたシーンだ。だからラテンのラリーはリスキーだが面白いのだと私は思う。
●解説●
サンレモラリー(ラリー・サンレモ)は、イタリアで開催されるイベントでWRCの始まった1973年から2003年まではWRCのイタリアラウンドとして開催されていた。当初はグラベルとターマックが混在していたが、1997年以降はターマックに統一された。
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佐久間 健/大学生のときに、初めてラリーに参加する。最初はドライバーだったが、のちにナビゲーターとなり篠塚建次郎、岩下良雄、高岡祥郎、横山文一、平林武らとコンビをくみ1986年には綾部美津雄とレオーネで全日本ラリー選手権のチャンピオンになる。
ラリーは1974年にはじめてWRCのツールドコルスを取材。その後年に何回かWRCを取材し、1990年代にはWRC全戦を取材するようになる。全戦取材は2004年まで続いた。その他アジアパシフィック選手権、ダカールラリー、パイクスピークヒルクライムなどの取材も行う。
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