F1ビッグチームの圧力で動いた感のある疑惑のレース・コントロールが、2022年はどう変わったのか?

2022年からはRDは2人になり、レース毎に入れ替わる方式になったが……

記憶に新しいところでは鈴鹿でのガスリーの問題
記憶に新しいところでは鈴鹿でのガスリーの問題

 結果、これまで曖昧だったトラックリミットは全周ホワイトラインが限度と決められ、セーフティーカーの扱いも詳細にわたり文章化されていった。

 またこれまで一人だったRDが二人に変わり、レース毎に入れ替わる方法がとられた。

 それでもまだ問題は多く、鈴鹿でのセーフティーカーとアクシデント処理の開始命令の発動タイミング、バーチャルセーフティーカーとセーフティーカーの変更時処理、さらには走行するダメージ車両へのオレンジボールシグナルの提示、その後のペナルティー等々、数多くの問題点が噴出した。

問題への裁定は密室からガラス張りへ。内容を比較的細部まで公表するようになった

 これまではビッグチームの圧力で動いていた感のあるレース・コントロールが正式プロテストがあれば動くという正当な態度を見せている。そして問題への裁定は密室ではなくガラス張りで、その内容を比較的細部まで公表をしている。もちろんまだ完全ではなくチーム的には文句もあろうが、今FIAとレース・コントロールは確実に変わろうとしているようだ。旧態然としたこれまでのオーガナイズは新時代に合わせてよりクリアーな形へと変わってきた。

 もちろん、現行RDとレース・コントロールはまだ経験が浅く完璧ではない。しかし文句を言うチームの多くが目の前の利益だけを考え、過去に自分達が犯した失敗を忘れ、声高にオーガナイザーを非難している様に思える。

 チームもF1もFIAも含めたこの組織なくしてレースはできないのだから、何とかF1が本当の意味でONE TEAMになって欲しいと思うのだが、まあそれぞれが自分たちの利益の確保に躍起となっている以上、そう簡単に皆仲良くとはゆかないかもしれない。

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津川哲夫
 1949年生まれ、東京都出身。1976年に日本初開催となった富士スピードウェイでのF1を観戦。そして、F1メカニックを志し、単身渡英。
 1978年にはサーティスのメカニックとなり、以後数々のチームを渡り歩いた。ベネトン在籍時代の1990年をもってF1メカニックを引退。日本人F1メカニックのパイオニアとして道を切り開いた。
 F1メカニック引退後は、F1ジャーナリストに転身。各種メディアを通じてF1の魅力を発信している。ブログ「哲じいの車輪くらぶ」、 YouTubeチャンネル「津川哲夫のF1グランプリボーイズ」などがある。
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