トヨタ2位に沈むもリベンジがある!! 大荒れレースで思い起こす……地元ル・マン市民が忘れない1955年の惨事と安全性

トヨタ2位に沈むもリベンジがある!! 大荒れレースで思い起こす……地元ル・マン市民が忘れない1955年の惨事と安全性

 興奮冷めやらぬル・マン100周年記念大会。今大会は荒れに荒れた展開だったが大きなけが人も出ない安全なレースとなった。しかしかつては大事故も発生したル・マン。長い歴史で培った安全と今大会の振り返りをお届けしよう。

文:段純恵/写真:GR、メルセデス

■1955年の大惨事とル・マンの安全

1955年のベンツ300SLR。スターリング・モスもドライブした最新鋭のマシンだった。当時の観客席とコースのバリアの低さは見ているだけでも恐怖心がわくものだ
1955年のベンツ300SLR。スターリング・モスもドライブした最新鋭のマシンだった。当時の観客席とコースのバリアの低さは見ているだけでも恐怖心がわくものだ

 1955年のル・マン24時間レースで起きたモータースポーツ史上最悪の事故についてご存じだろうか。マシン同士の接触でメルセデス・ベンツ300SLRが観客席に突っ込み爆発炎上。ドライバーとル・マン市民の観客83人が犠牲になる大惨事だった。

「私の母は事故の数分前までその観客席にいました。頭痛がしていた母は、席を立って救護室に行き、もらった薬を飲んで客席に戻ると、そこは地獄になっていたのです」。

 凄惨な光景に強いショックを受けた私の常宿のイヴリン夫人の母親は、その後サーキットに行くこともレースを見ることもなかったという。

マシンは速さだけでなくその堅牢性も大きく上がった。そこにはかつての大きな事故があった
マシンは速さだけでなくその堅牢性も大きく上がった。そこにはかつての大きな事故があった

「母が犠牲者の一人にならなかったのは本当に偶然でした。事故の2年後に私が生まれ、後に妹と弟も生まれましたが、もしあの日、母が朝から頭痛に悩まされていなければ、私たちが生まれることはなかったのです」。

 100周年を迎えた今年のル・マンは、スタート直後からアクシデントが多発する荒れた展開のレースとなった。長いコースの部分的に降る強雨に足下をすくわれたり、自らのミスでクラッシュするマシンが続出し、ケガ人が出てもおかしくないような事故のたびにセーフティーカーやフルコースイエローが何度も何度も入ったが、幸いなことにドライバーの命が危ぶまれるような事故はなかった。

 モータースポーツ取材で何が辛いといって、人が命を落とす事故に遭遇するのが一番辛い。30数年の取材歴で筆者もドライバーやマーシャルが命を落とす瞬間を何度も見てきた。その辛さを思えば、誰が勝つかどうかなど二の次で、レース全体が無事にチェッカーとなることが一番大事に思える。

■確かに敗れたけれど無事に帰ってきた……いつかは勝てる

たしかに戦いには敗れた。それでも7号車が追突され、8号車がクラッシュしてもドライバーは全員無事に帰ってきた。それがまずレース完走の大きな意義でもある
たしかに戦いには敗れた。それでも7号車が追突され、8号車がクラッシュしてもドライバーは全員無事に帰ってきた。それがまずレース完走の大きな意義でもある

「1955年の事故のあと、フランス政府は24時間レースをやめさせようとしたという話も聞いています。でも我々はそうしたくなかった。なぜなら、24時間レースはル・マンのDNAからです。

 サーキットは改修をかさね、安全性に配慮した規則を整えてきました。そしていま、1955年のあの事故を覚えている人、知っている人は減っています。今日こうしてあなたにこの話ができて、あなたを通して日本の皆さんにも事故のことを知ってもらえることを、亡くなった私の両親も嬉しく思っているでしょう」。

 もちろん戦っているドライバーやチームにとっては、レースを戦って結果が伴わない辛さは大きいだろう。今回も優勝候補の一角で小林可夢偉チーム代表がドライブしていたトヨタ7号車が、レースの3分の1が経過した真夜中の12時過ぎに、完全なもらい事故でマシンを損傷し無念のリタイアを喫した。

 またレース最終盤までフェラーリの51号車と優勝をめぐるデッドヒートを展開していたトヨタ8号車は、サルトサーキットで最も低速コーナーのアルナージュの入り口で突然コントロールを失ってスピン。

 最終スティントを託されていた平川亮の運転する8号車はタイヤバリアにぶつかりマシンにダメージを負った。それでも低速だったことが幸いしたのだろう、走行可能状態のマシンでピットに戻った平川は、最短時間で修復を終えたチームに見送られ再びコースへ。目の覚めるような猛追でロスした時間を取り戻した8号車は、優勝した51号車と同一周回の2位でチェッカーを受けた。

 国内レースでも本当にミスのないドライバーだけに、平川のショックと自責の念は端で見ていても苦しいほどで、レース後の会見で「自分のミス」と目を伏せる平川を、両隣のセバスチャン・ブエミとブレンドン・ハートレーが肩や背中を叩いて励ます姿が印象に残った。

なかなか笑顔になれなかった平川(左から2番目)だが、ハートレー(左から3番目)のサポートもあり最後は少し笑顔が見えた
なかなか笑顔になれなかった平川(左から2番目)だが、ハートレー(左から3番目)のサポートもあり最後は少し笑顔が見えた

 平川は自分のミスと言ったが、その前のスティントを担当したハートレーも無線でブレーキのプレッシャーについて何度か言及していたので、ひょっとしたらブレーキ回生システムの制御系に変調があったのかもしれない。

 自身のリタイア後はチーム代表職に専念していた小林チーム代表も、彼を責めるつもりはない、チーム全体の流れからきたことだと、最終スティントのプレッシャーと闘いながらマシンを2位に導いた平川を擁護しねぎらった。

 昨年、初挑戦初優勝という稀な経験をした平川に、今年のル・マンは「まだまだ勉強でっせ」といわんばかりの試練を与えた。それでも16年に中嶋一貴とチームが経験したあの足下から崩れ落ちるような経験と比べれば、思いやりのある試練というべきだろう。

 確かに勝利は逃した。でも五体満足で、ドライバーもチームも全員が自分を出し尽くしやりきったレースだったではないか。

 まだまだ若い平川とトヨタチームに、我がル・マン民宿のホストが、あの16年のレース後、私にかけてくれた言葉をいまいちど紹介しよう。

それでも続けていれば、いつか必ず勝てる。

C’est Le Mans(これがル・マンだ)。

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