1994年10月にデビューした三菱FTOを覚えていますか? ミラージュのコンポーネンツを使ったFFの2ドアスペシャルティクーペで、国産車初のスポーツモード(マニュアルモード)付きのATを備えていたことでも知られている。
当時、国産車のなかでもボディ剛性がずば抜けて高く、またFF車ながら旋回性能が高く、当時、国産FF車最速との評価を受けていた。
それを裏付けるように、1994~1995年日本カー・オブ・ザ・イヤーのイヤーカーにも輝いている。
しかし、2000年9月に後継モデルがデビューすることなく販売終了。生産台数は7年間でたった3万8028台。
はたして、この短命に終わった名車は今、残っているのだろうか? 中古車事情に詳しい萩原文博氏が解説する。
文/萩原文博
写真/三菱自動車
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コンパクトなFFスペシャルティクーペ
1990年代半ば、トヨタスープラや日産スカイラインGT-R、三菱GTOなどが、自主規制枠一杯の最高出力280psバトルを繰り広げているなか、FFスペシャリティクーペでもパワーバトルが繰り広げられていた。
そのバトルの役者は筆者の愛車でもあった4代目BB1/4型ホンダプレリュード、マツダMX-6そして、三菱FTOだ。
プレリュードのトップグレードは最高出力200psを発生する2.2L、直4DOHC VTECエンジンを搭載。MX-6は最高出力200psを発生する2.5L、 V6DOHCエンジン。
そして、FTOは最高出力200psを発生する2L、V6MIVEC DOHCエンジンを搭載し、競い合っていた。
その後このスタイリッシュなクーペカテゴリーは2000年代に入って人気は低迷し、生産終了に追い込まれた。
2020年9月現在、すでに4代目BB1/4型のプレリュードの中古車の流通台数は1台、MX-6も2台と絶滅状態となっている。
FTOの中古車は生き残っているのか?
そこで、三菱FTOの中古車事情は一体どうなっているのかを調べてみた。FTOは7年間で3万8028台しか生産されていない。ライバルと同様に絶滅危機に瀕しているのだろうか。
新次元スポーツクーペという新しい提案として、1994年10月に三菱FTOは登場した。
スポーツ感溢れるダイナミック&アグレッシブなスタイルを持ち、シャープな伸びとキレの良さを実現した2L、V6MIVEC DOHCエンジンを搭載。
国産車初となる、どんな道路状況下でも最適なシフトタイミングが得られ、ドライバーの好みやスキルに応じてシフトタイミングを修正する「学習機能」を組み込んだマニュアルモード付きのINVECS-IIと呼ばれる4速ATを採用していた。
そして新車時価格166万~239万7000円という圧倒的なバリューフォーマネーを実現した。
デビュー当時のグレード構成は最高出力125psを発生する1.8L、直4エンジンを搭載したエントリーグレードのGS、最高出力170psを発生する2L、V6エンジンを搭載したGR。
そしてトップグレードのGPXには最高出力200psを発生する2L 、V6MIVECエンジンを搭載している。
駆動方式は全車FFのみだが、トランスミッションは全グレードで5速MTと4速ATが用意された。
1996年に一部改良を行い、運転席エアバッグの標準装備化と新グレードとして2L、V6MIVECエンジンを搭載したGPとGRスポーツパッケージという2つのグレードを追加設定した。
そして1997年にマイナーチェンジを行い、内外装の変更を行うとともに、2L、V6MIVECエンジンを搭載したGPXとGPバージョンRのATは5速へと多段化された。
6A12型2L、V6エンジンは最高出力は170psから180ps、最大トルクは19.0kgmから19.5kgmへと向上している。
新グレードとして追加されたGPバージョンRはスポーツサスペンションやLSD、前後ストラットタワーバーなどを標準装備した走行性能にこだわったグレードとなる。
1999年にはGPバージョンRエアロシリーズを除く全車にABSが標準装備されるなど安全装備が拡充された。
三菱FTOは、モータースポーツでも活躍。現在のSUPER GTである全日本GT選手権(JGTC)GT300クラスにおいて、1998年に総合5位、1999年に総合6位を獲得している。
さらに、FTOをベースとした「FTO-EV」を1998年に製作。最高出力70kWのモーターを搭載し、1回の充電で走れる距離は市街地で150km前後、最高速度は186km/hをマーク。
当時、公道走行可能な電気自動車としては最速だった。FTO-EVで得た知見は「MiEV」シリーズに活かされている。
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