2020年10月2日、ホンダが2021年をもってF1参戦を終了すると発表した。「2050年カーボンニュートラルの実現」を目指すため、将来のパワーユニットやエネルギー領域への研究開発に、経営資源と人材を投入する必要がある、という。
だがファン心理としては納得しづらい。メルセデスが圧倒的な現在のF1においても、ホンダのパワーユニットは勝利をもぎ取っている。そしてその勝利はいずれもドラマチックなものであっただけに「なぜ、このタイミングで?」と思わざるを得ない。
はたしてこのタイミングのF1参戦終了は正しいのか? 識者の意見を聞いてみたい。
●トピックス
・識者たちの視点からみる「ホンダF1撤退の是非」
・ホンダ関係者に聞く「今ホンダに何が起きているのか」?
・F1撤退、インディ継続で気になるホンダ今の評判 in USA
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※本稿は2020年10月のものです
文/国沢光宏、井元康一郎、写真/HONDA、Red Bull
初出:『ベストカー』 2020年11月26日号
■識者たちの視点からみる「ホンダF1撤退の是非」
●正しくない(自動車評論家 国沢光宏の視点)
明確に「正しくない!」と考えます。すでに巨額な初期投資は済んでいるだろうし、2022年はレギュレーションの変更だってなし。F1そのものも「お金がかかりすぎる」という声がいろんな関係者から出ているため、ホンダにとって大きな負担にはならないと思う。だからこそ大赤字のルノーも「アルピーヌ」という名前に変えて存続させることを決めている。
ホンダはF1に残り、経費削減のレギュレーション作りをすべきだった。というのもF1をやめたらホンダのブランドイメージはアメリカを除き薄まっていくだろうからだ。
ヨーロッパのブランドはハンドバックに10万円の値札付けて売れるが、日本で同じ品質のハンドバッグ作っても1万円だって厳しい。クルマのブランドイメージを作ろうとすれば、モータースポーツしかないと思う。ホンダ自身、F1で勝てる技術の凄さを認識していないようだ。
●正しい(ジャーナリスト 井元康一郎の視点)
ホンダはF1をやめるべきなのか、続けるべきなのかということは、外野がとやかく言うことではないだろう。本人たちがやめたいというのだから、好きにすればいいのだ。
話題の焦点は、今がはたしてやめどきかどうかということであろう。私見だが、来年かぎりで撤退という区切りは悪くないと思う。
理由はいくつかある。復帰当初から一貫して社内がF1に対して盛り上がりを見せていなかったこと。4輪事業の収益性が赤字すれすれまで悪化している折、コロナ禍が直撃してる今は撤退=逃げるというイメージを持たれにくいことなどだ。
が、一番大きな理由は、F1の世界での存在感が小さいことだ。下手に継続してホンダがF1の世界になくてはならないような存在になったら、簡単に逃げられなくなる。惜しまれるような存在になれていない今なら、単にひとつのサプライヤーが消えるというだけのことだ。そういう意味では、潔い決断と言えよう。
●正しくない(モータージャーナリスト 片岡英明の視点)
ホンダ、F1撤退というニュースが届き、衝撃が走った。ボクも愕然としたひとりだ。前回のチャレンジの時も同じである。来年はチャンピオンを狙えると期待していた時に突然、休止を発表してファンをガッカリさせた。
ホンダは環境対策に取り組むことを理由に、F1の舞台から去ろうとしている。が、500万円のEVでは売れゆきもそれなりだから、利益を上げるのは大変だろう。本気でやるなら、かつてのホンダN360やシビックのように高性能で低価格のクルマを売り出さないとダメだと思う。多くの人が喜ぶ環境モデルを出せるなら、F1をやめてもみんなは納得するだろう。
他のメーカーとは違う発想と努力で何度も苦境を乗り切ってきたのがホンダだった。夢を与えてきたメーカーが弱腰になり、言い訳ばかりすると、ファンは離れていってしまう。それが心配だ。
●撤退せざるを得ない(モータージャーナリスト 池田直渡の視点)
企業は利益を出すために営業する。社会的意義は大事だが、意義があっても、不採算では継続できない。そもそも理由が曖昧なまま予算を使ってきたことがおかしい。
利益をもたらす事業なら環境対策とのバーターで撤退になどならないはずだ。厳しい言い方だが、ホンダには、レースを続ける情熱が足りないのだと思う。
トヨタは、開発手法を鍛える活動と定義して、量産車開発の手順やルールはもちろん、就業規定までもすべて持ち込んで量産車開発と同じ枠組みで戦っている。面倒だろうが、それによってレース活動が市販車の開発業務改革に直結する。
莫大な利益を生む生産車の開発期間短縮の手法としてレースはやめられない。なんとしてもレースをやりたいとすれば、大人の手練手管を使ってでも、レースが経営に貢献するやり方を見つけ出す。それだけの情熱がトヨタにはあるということだと思う。
●残念だがやむなし(モータージャーナリスト鈴木直也の視点)
ホンダの4輪事業がうまくいってないのは周知の事実だし、そもそもF1そのものが曲がり角。ぼく個人としては、撤退の決断に至ったのは残念だけれど、やむなしだったと思っている。
しかし、ホンダが撤退の理由に挙げた「カーボンニュートラル」については、それもひとつの理由ではあろうが世間を納得させるには弱い。
1960年代に宗一郎さんがはじめた道楽のおかげで、ホンダは自動車業界の頂点に存在するこの“クラブ”の古参会員となり、F1ソサエティの仲間として認められた。だから、やめるならそれなりの仁義を切るべきで、できればF1の未来についてホンダならではの説明が欲しかった。
ぼくの友人のFさんに言わせるとF1にかかる金は交際費なんだそうで、使えばいいというものでもないが、ケチれば評判が落ちる。
環境対応が大変なのは、どのメーカーも同じなんだから。
●正しくない(モータースポーツジャーナリスト 津川哲夫の視点)
F1撤退を現実的に考えれば今のホンダにF1を戦う企業体力がなかった証。この第4期F1挑戦は最初から確固たる戦略やコンセプトが希薄で、目標なき無謀なプロジェクトに見え、撤退はホンダにとって必然で正しい行為だ。
しかしF1界に与える影響は大きく、特にレッドブルとアルファタウリの被害は甚大だ。F1側から見ればこの判断は否定される。やっと打倒メルセデスが見えてきたのに。
ホンダはF1界の現実を直視せず何度も“お騒がせ”な出入りを繰り返す。技術も成績もよいのに今回の撤退、これではホンダへの敬意は失われてしまう。
ホンダのDNAはどこかで大きくゲノム編集されてしまい、真のレース魂を抜け殻にしてしまった。ホンダにはもうF1が無意味なものになってしまったのだろう。
今回の撤退は必然だが、ホンダを育てたF1に後ろ足で泥を掛ける行為であることをホンダのトップ達は知るべきだ。
●正しい(モータージャーナリスト 岡本幸一郎の視点)
むろん本音と建て前はあるだろうし、絶対に続けたかったらなんとしても続けるだろうし、参戦したくてもできないほど状況が悪いわけでもないだろうし(おそらく……)、ぶっちゃけホンダにとってそこまでしてやる価値はなくなった、ということでしょう。
本当のところはよくわからないけど、僕らが感じるかぎりでも宣伝効果も薄そうだし、得られたノウハウもあまり意味なさそうだし、ホンダとしてはむしろ続ける大義名分がなくなったんでしょう。
であれば撤退もやむなし。残念だけど仕方がない。もちろん歓迎はしないけど、賛成はします。一時期のように惨敗続きではなく、いいセンいっていての撤退なのがせめてもの救いです。
本心としては参戦したいことには違いないでしょうから、できる状況になったらまた参戦すればいいし、やめようと思ったらやめればそれでいいじゃないですか。これまでもそうだったように。
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識者をして評価がほぼ二分したこの問題。決断を下したホンダ自身も、そうとう悩んだに違いない。とりあえずホンダの第4期F1は終了が決定した。だがファンはいつの日かの復活を、間違いなく待っている。ぜひなるべく早期にその期待に応えてほしい。
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