毎年、さまざまな新車が華々しくデビューを飾るその影で、ひっそりと姿を消す車もある。
時代の先を行き過ぎた車、当初は好調だったものの、市場の変化でユーザーの支持を失った車など、消えゆく車の事情はさまざま。
しかし、こうした生産終了車の果敢なチャレンジのうえに、現在の成功したモデルの数々があるといっても過言ではありません。
訳あって生産終了したモデルの数々を振り返る本企画、今回は日産 レパードJ.フェリー(1992-1996)をご紹介します。
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文/伊達軍曹、写真/NISSAN
■北米市場向けのインフィニティJ30を流用し急遽用意された3代目レパード
ラグジュアリーな2ドアハードトップとしてそれなりの人気を博した2代目日産 レパードがフルモデルチェンジを受けるにあたり、諸事情あって2代目の進化型を作るのではなく、北米向けの4ドアセダンを「3代目のレパード」ということにして国内市場に投入。
だが北米テイストは当時の日本人ユーザーには合わなかったか、ジャーナリストからは高く評価されたものの、まったくの人気薄車として消えていった高級セダン。
それが、日産 レパードJ.フェリーです。
2代目レパードのベース車であったR31型日産 スカイラインがR32型へとフルモデルチェンジされる際、次期型レパードの開発は行わないことになりました。
そして日産は、その代わりとして北米市場向けの「インフィニティ J30」という4ドアセダンを「3代目のレパード」として1992年6月、国内市場に投入。
ただし車名はレパードではなく「レパードJ.フェリー」という、わかるようなわからないような謎の車名に改められました。
基本的なシャシー構成は当時のシーマ系からの流用で、エンジンはシーマおよびセドリック/グロリアの一部グレードと共用。
具体的には最高出力270psの4.2L V8と、同200psの3L V6の2種類がありました。トランスミッションは、総合制御システムを組み込んだ4速ATです。
ここまではいいというか、想像の範囲内ではあります。
しかしレパードJ.フェリーは、そのデザインがユーザーの想像をはるかに超えていました。
高級セダンのデザインというのは、良くも悪くも「威圧的」であるのが普通で、また高級セダンというのはスピードも出る車ですから、速度をイメージさせる(そして空力的にも理にかなっている)ウェッジシェイプ=くさび形を基本とするのが定石です。
しかしレパードJ.フェリーのそれは、楕円形のキャビンに弓なりのカーブが貫通する「バランスド・アーチ」という発想でした。
楕円のヘッドランプとグリルには威圧感の「い」の字もなく、エッジを持たない前後バンパーと尻下がりのリアエンド、そして薄い弓形のテールランプというのも、それまでの日系またはドイツ系の高級セダンとはまったく方向性が異なるもの。
エクステリアデザインを担当したのは、アメリカの日産デザインインターナショナル(NDI)です。
このような形で登場した3代目レパードこと日産 レパードJ.フェリーは、走行性能やその質感にもかなり秀でていたため、当時のモータージャーナリスト各氏や自動車専門誌などからは非常に高く評価されました。
しかしそんな評価も一般向けのセールスにはまったく結びつかず、レパードJ.フェリーの販売はひたすら低迷。
その結果、J.フェリーは1996年3月で販売終了に。代わって登場した4代目は普通に「レパード」へと車名を戻し、デザインもごくオーソドックスなものに戻ってしまいました。
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